【 第一幕 〜死後の選択〜 】 第一話
七月九日
空は灰色の雲が覆い外は薄暗く、豪雨で道端にはほとんど人影はなかった。
荒れ狂ったように降る雨は、人の視界も声をも遮り、川は飲み込まれたものの抵抗を許さぬよう非情なほどに激しく荒れている。
(苦シイ 苦シイッ……イヤダ……イヤダイヤダッ 死ニタクナイ 死シニタクナイ……イヤダ――)

時刻は午前七時を回る頃。
日差しは弱いが蝉は早くも鳴き始めている。
そのせいか、やたら暑く感じ制服の襟元が汗でぬれてきている。
先週髪を短く切っておいて正解だった。
私は藤原望未(ふじわらのぞみ)。家から歩いて30分ほど先にある朱陽明高校に通う三年生だ。
普段なら一人で登校するのだが、今日はいつもより早く家を出、めずらしく友達でクラスメイトの由香(ゆか)達3人との登校。
これには理由がある。
「あ〜、ねむーい。今日から3日間テストなんて最悪っ!ほんとだったらまだ寝てる時間なのに〜。」
あくびをしながらそう言ったのは敦子(あつこ)だ。
「ほんと、いい迷惑だよ。昨日の夜電話してきて“一人じゃ問題解けなくて勉強できなーい”なんて言って朝早く登校して勉強するはめになったの敦子のせいでしょう。」
「まあいいじゃん咲江(さきえ)。ぶっちゃけアタシも助かるよ。昨日勉強したんだけどさ、全然解んないの。さっぱりだよ。普段あんま先生の話聞いてないからねぇ。」
茶色に染め上げた髪の毛をいじりながら由香は言った。
「そう言ってもらえると助かるよ由香。望未もゴメンねー、こんな朝早くから呼び出しちゃって。でもこの中で一番勉強できるの望未だからさ。」
「別にいいって、気にしなくて。」
「ああ、望未が救世主に見える!だって、さ」
敦子はうな垂れながら言う。
「今回のテストで赤点多かったら…再来週の夏休み初日から四日間…補習だからね…。」
「えー?!何よそれっ!?」
由香と咲江は食い入るように敦子に聞き出した。
「なに、2人とも聞いてなかったのー? 担任が言ってたじゃんー。今回の期末テストで赤点取った人は、夏休み四日間補習だって。」
「うっわ、マジヤバイって、アタシ。って言うかなんでよりにもよって夏休み初日からなわけっ? 彼氏と海行く約束してるんですけど!」
「私はそれなりに大丈夫だと思うけど……あ、急に心配になってきた…。」
「こうしちゃいられないっ。今日たしか数学あったよね?! ひとつでも多く問題覚えなきゃっ。望未、頼むよっ!。」
「あ、うん。」
由香は急に火がついたように張り切りだし、歩く速度を上げた。
「由香〜、ちょっとまってよー。」
敦子と咲江は由香を小走りで追いかける。
それに続くように、3人の後ろを歩いていた望未も追いかけようと足を一歩前に出した時、背後から突き刺さるような視線を感じた。
(何……?)
その視線は絡みつくように望未を束縛し、まるでその場で体が凍りついたようだった。
額から汗がじわりじわりとにじみ滴れ落ちる。
夏なのに背中を流れる汗はまるで氷水のように冷たく感じ、それがつうっと背中を伝わりゾクリとした。
しだいに呼吸が荒くなる。
眉をひそめ、唾をゴクリと飲み込むと、恐る恐る後ろを振り返った。
そこに、建物の曲がり角から覗くようにしてこちらを見ていたのは、年の頃はあまり自分と変わらない、黒い着物を着た少女の姿だった。
射る様な視線は冷たく、黒い着物は喪服を連想させた。
望未は不安を覚える。
(何……なんなの…)
その視線から逃れようと、足を一歩後ろに引いた時に、誰かが肩をぽんっと叩いた。
望未はびくっと飛び上がって後ろを振り向く。
「望未、どうしたの?」
「あ…由香…。」
後からついて来ない望未に気づき、由香達が戻って来てたのだ。
「望未汗でびっしょりじゃん。だいじょぶ?」
「ああ、うん…大丈夫。あの女の子が…」
望未はまだこちらをじっと見ている少女を見ながら指を刺す。
「え?なに?誰もいないけど。」
「え………?」
望未は敦子や咲江の表情も伺うも、どうやら3人には黒い着物の少女は見えていないようだった。
再び望未は後ろを振り返ったが、もうあの少女は姿はなかった。
期末テスト日一日目。
今日は一時限目から三時限目までがテストで、四時限目は実習となっていた。
三時限目のテストを終え、望未は気分転換に由香達と廊下に出る。
「由香テストどうだった?」
窓側の廊下の手すりにもたれ掛かりながら咲江は言う。
「数学と国語はギリギリってとこかな……。でも物理が……。」
由香は溜息をつきながらうな垂れた。
「敦子は〜?」
手すりに腕をつきながら何処かあらぬ方向を見ている敦子に聞く。
「…ふえ〜?」
「あ、ダメだ。目が死んじゃってるよ。」
「だね、そっとしておこう。望未は大丈夫でしょ?」
「んん、まあ。私もちょっと物理が心配だけどね。」
「でもアタシらよりは絶対いいって。望未は大学進学とか考えてんの?アタシは専門学校かなぁ…。」
「うん、大学に行くと思うけど…、今ちょっと悩んでるんだ。」
「え〜?早く決めとかないとあっという間だよー?」
「うん……。」
窓の向こうに広がる空をぼうっと眺める。
白い雲のはざ間から見える空の青が目にまぶしく、そよそよ吹く風は頬をくすぐり気持ちよかった。
四時限目が終わりホームルームも終えて、帰ろうと校門の方まで来ていた。
「ああ〜、やっと一日目が終わったあー。」
空に向かって背伸びをしながら由香が言う。
「テストを終えた後の太陽の日差しって、なんてすがすがしいんだろう。…まあ明日もテストなんだけどね。」
「それを言わないでよ咲江…。今は何も考えたくな〜いっ。」
「敦子、現実逃避すんなって。でもま、今はアタシもテストのことなんて考えたくないね。それよかお腹空かない?これからどっか食べに行こうか。」
「そうだね。」
「望未も行くでしょ?」
右隣にいる望未に向き直って由香が聞いてきた。
「ごめん、私はいいや。ここんところ食欲あまりなくてさ。」
「?ふ〜ん……。じゃっ、3人で行こうか。」
そう言って由香が敦子と咲江の方を振り返った時、後ろの方から歩いてくる人に気づいた。
「あ、あれって2組の池田クンと3組の小沢サンじゃん。あの2人って最近付き合いだしたんだよねー。そういえば望未あの2人と仲良いよね?」
「うん…。奈々子(ななこ)とは小学生の時からの仲で、彰斗(あきと)は中学校が一緒なんだ…。」
由香達と校門の脇で話し込んでいると、そこにいる望未に気づき、彰斗達が近づいてきた。
「よっ、望未。今から帰るとこ?」
「うん…。」
「あっ、そういえば。龍司(りゅうじ)が夏休みにまた4人でどっか行こうって言ってたぜ。」
「……ごめん、用思い出したから帰るね。由香達もじゃあね。」
望未は由香達に軽く手を振ると、何かから逃げるように小走りで門をくぐりぬけ帰っていった。
「なんだ望未のやつ。別に俺達が付き合いだしたからって気つかわなくてもいいのにな。」
彰斗は望未の背中を見送り、頭をぽりぽり掻きながら傍らにいる奈々子に話しかける。
「うん……。」
照りつける太陽の日差しは強く、肌の表面をじりじり焼きつける。
今年の夏は去年より暑くなりそうだ。
望未は家までの帰り道、時間をつぶそうと、特に当てもなく街中をブラブラすることにした。
東京ほどではないが、高いビルやおしゃれなショップが建ち並んでいる。
しかし望未はそれほど興味を引かれるものはなく、歩きながらぼんやりと周りに耳を傾けた。
車道をクラクションを鳴らしながら走る車、どこからか無責任に噂話を楽しむ話し声、店内からながれてくる今流行の音楽、何もかもがうつろに聞こえてくる、そう望未は思った。そしてまるで自分独りだけ別の世界を歩いているような感覚に陥った。
本当は周りのものはすべて自分の幻覚で…最初から私独りなんじゃないかな……、と思う。
「……ふっ、馬鹿らしい。」
望未は自嘲気味に笑い、そんな考えを払いのけた。
5時過ぎに家に帰ると、望未は食卓にラップして置かれたピラフとサラダに気づいた。
「冷凍物のピラフじゃない。これで料理したつもりなのか。それに夏場にこんなところに置いてたら腐れるっての。」
サラダの中からプチトマトをひとつ摘まんで食べる。
私は母親と2人暮しだ。父親はいない。
父は私が小学校2年生の頃に蒸発し家に帰らないままだ。だいたい予想はつく。
その頃母は毎日泣いてばかりだった。
そのせいで食事の準備はおろそかになり、この数年まともに“家庭料理”というのを食べた覚えはない。
母は資産家のお嬢様だった。父と結婚したのは十九の頃らしい。
歳も若く、相手は平凡な家庭に生まれ、当時はまだ大学に通う学生だったため、当然のことながら母の両親は反対した。
それを押しきって二人は結婚したのだ。
その結果がこれ。
私が言うのも変だけど、あの人が結婚するには早すぎたと思う。
年齢がどうとかじゃない。あの人はまだどこか子供っぽいところがあるからだ。大人になりきれてないと言った方がいいだろうか。
だから母親としてより女としての自分を選び、父がいなくなったその寂しさから、私が中学に上がる頃に外に男をつくり、それからよく家を留守するようになったのだ。
正直言ってもうあの人に“母親”を求めてはいない。
「ふう…、明日もテスト、か。」
望未は食卓のピラフとサラダを冷蔵庫の中に入れると、通学用の鞄を持って2階の自分の部屋へと上がった。
鞄を勉強机の上に置き、制服の胸元のリボンをほどくと、ベッドの上に仰向けになって倒れこんだ。
しばらく天井を眺め、数秒まぶたを閉じた。
家の中はしん、としていて何も聞こえてこない。
再びまぶたを開くと、真上から自分の顔を覗き込む顔がそこにあった。
望未は心臓が飛び出しそうなほどビクリと飛び上がり、反射的にその場から逃げようとしたが恐怖で足が思うように動かなく、ベッドの上から転がり落ちてしまった。
上半身を起こし床にお尻をつけたまま後ずさると、宙に浮く人影に目を留める。
「あっ、あなた今朝の……!!。」
望未の顔を覗き込んでたのは黒い着物を着たあの少女だった。
正面から見て両側の毛先の束には銀色の鈴を装飾している。
ぱっちりとした目は望未を見定め、白い顔に浮かぶ朱色のふっくらとした唇は雪のような微笑をもらした。
「どうも今晩は。」
「なにっ、なんなの……っ?!」
望未は動揺し、その正体の分からぬ者から逃げようと、壁伝いで必死に立ち上がり部屋のドアに駆け寄ってドアノブに手をかけたが、ドアノブは横に回らなかった。
「っ開かない!?」
「逃げちゃだめよ。」
望未は何度もドアノブを横に回そうとするが回らず開かなかった。
「…あなた?……あなたがやってるの…?! なんなのっ!? 人……じゃない……?」
「私は上総。屍神の上総。」
「……は? しにがみ…? あの魂を狩るっていう……?」
望未はあっけにとられたようにポカンとしている。
「そっちの死神じゃないわ。“しかばねのかみ”と書いて屍神。死してもなお、何かしらの強い思いだけが体の中に残り生き続ける者達、“思屍人(ししびと)”を狩るのが私の役目。」
「……何が言いたいの。」
「まだ分からない? つまりあなたが思屍人でもう死んでいるってことよ。魂はとっくに冥界へ逝き心だけが屍に残されている、生ける屍。」
「……は、あっはははは。冗談にしちゃあまり笑えないわよっ。」
望未は顔を引きつらせ、上総をキッと睨みつける。
「…悪いけど、冗談を言っている暇なんて私にはないの。」
あまりにも真っ直ぐな視線に望未は目を逸らせなかった。肯定せざるを得ない視線。
握りしめた手のひらからじとりと汗が滲んでいるのが分かる。
「う…嘘よ、嘘っ! だって私死んだ事なんか覚えなんかないっ! なによ“生ける屍”って。」
「あなた自身が死んだという事実を忘れているだけよ。なぜか思屍人達は死んだ事を忘れている者達が多いの。それにここのところ食欲がなかったり睡眠を必要としなかったんじゃないの。屍は飽くまで屍だもの。……いいわ、私が思い出させてあげる。」
そう言うと上総は床の上にふわりと下り、望未の前に歩み寄った。
すると突然どこからか、鈴の音が鳴り響いてきた。それは最初は小さかったが、だんだんと耳元で鳴り響いてるようにその音は大きくなり、徐々に頭の中から聞こえてくるように感じた。
「う…るさい…。なにこれ……っ。」
望未は頭を両手で抱える。
鈴の音は頭の中を刺激し、一瞬強い頭痛が走った。
「痛っ!!」
その頭痛が消えた瞬間さっきまで鳴り響いていた鈴の音は止み、忘れていた記憶の断片が次々と頭の中に入ってきた。
「…おもい…だした。思い出した。そう、だ。四日前のあの豪雨の日に…川に落ちて溺れて死んだ……。あの日は彰斗の誕生日で…」
上総は望未が少しずつ記憶を辿っていく様子を静かに見守っている。
「橋の上を歩いてる時に風で傘が川の近くに飛ばされて…それを取ろうとして足を踏み外した……。苦しくて苦しくて、必死に助けを呼んだんだ…。“だれか助けて”って…。」
ふっ、と望未は悲しみにも似た笑みを浮かべる。
「“だれか助けて”って“だれ”なんだろうね……。」
「………思い出した?」
望未は落していた視線を再び上総の方に向けると、目の前のものにぎょっとした。
一振りで軽く胴体を切断しそうな鋭い鎌を抱えていたのだ。
「な、なによそれっ。」
「何って、これであなたの中の“想い”を狩るのに決まってるでしょう。」
「そしたら…どうなるの……。」
「今あなたの身体を動かしてるのは“強い想い”。それを狩ればあなた達からしたら…そう、死ぬってことになるのかしら。元に戻るだけよ。」
「っいやよ! 何…一度死んだって? 魂がないって? でも実際に今はこうして生きてるじゃないっ!! ほっといてよっ。」
「そういう訳にはいかないわ。いい? 今のあなたの身体は屍。死んでいるのだからこれ以上成長したり歳をとったりすることはないわ。それどころか内臓器官もすべて停止している状態。そのままで生き続けてごらんなさい。大変なことになるわよ。」
「………っ。」
望未は今の現実から目を背けたい気持ちでドアノブに手を伸ばした。でもやはり開かない。
上総は一歩、また一歩と近づいてくる。
「私はあなたを狩らなければならない……。」
「………っ!!。」
「…と言いたいところだけども、あなたは運が良かったわね。…チャンスをあげるわ。」
「……え?」
一瞬何を言われたのか分からない、というような顔で上総を見た。
「生き返るためのチャンスよ。」
「生き返る…?そんなことが……できるの?!」
望未の表情は少し明るくなった。
「人間の魂はね、死後は皆冥界へ逝きいずれまたこの世界に生まれ変わるのよ。冥界へ逝って七日間経つと生まれ変わるための準備に入る。だからその最初の七日間の間なら、冥界から魂を呼び戻すことが可能なの。私ならね…。」
「それじゃ……。」
「“チャンスをあげる”と言ったでしょう。もちろん条件があるわ。」
上総はにたりと笑んだ。
「何……?」
望未は恐る恐る聞く。
「…あなたの身近にいる大切な人をひとり、殺しなさい。」
「っ……!?」