【 第一幕 〜死後の選択〜 】 第二話
眠ることなく夜が明けた。
望未はベッドの上で膝を抱えながら顔をうずくめている。
ここ数日眠れない。
その理由は昨夜突然ウチにやってきた“屍神”なる少女に聞いた。彼女の名は上総。
私は一度死んで想いだけが宿る屍、“思屍人”だと言う。……冗談じゃない
そして上総は残酷なことを言い残して去っていったのだ………
『人を…殺す……?』
『そう。期限は明々後日の午後11時59分までよ。あなたが死んでちょうど七日目のね。』
『ちょっと、まってよ…。だいたい人殺しなんかしたら私警察に捕まっちゃうじゃないっ! そうしたら生き返ったって意味がない。それに人を殺すだなんて……。』
『大丈夫よ。そんな事にならないよう私がその事を知る者の記憶を消すから。もちろんあなたの記憶もね。今すぐ決断をだせとは言わないけれど…あまり時間もないわね。』
『…本当に…それしかないの……?』
『ふふ……ただで生き返れるわけがないでしょう? それなりの代償が必要よ。あなたの命に代わる命が…。』
殺さなきゃ 死ぬ……
でも人を殺すなんてできるわけがないじゃない……っ。いくら殺した事実を忘れられるからって………死神よりも残酷だわ
期限は明後日
答えは二つに一つ……
誰かを殺して生き返るか…、それとも期限の日まで待って死ぬか………いやだ、死にたくない 死にたくない 死にたくないっ…………
「………。」
望未はベッドの上から降りると、勉強机の上に置かれた通学用の鞄に目を向ける。
「…そういえば今日もテストだっけ。とりあえず、…学校行かなきゃ……。」
通学路をひどく重い気分を背負ったまま足を進める。
当然だけどテストどころではない…。
空の色が鮮やかであればあるほど心の中は黒く濁っていくように感じた。
校門をくぐると昨日と変わらぬ様子が広がっている。
教科書を広げながら歩く人や、友達同士で問題を出し合ってる人、勉強疲れでか眠そうな顔をしてる人。
今日のテストの事で皆が頭いっぱいになっている中、私一人だけは別のことが頭の中を支配している。
“殺さなければ死んでしまう”
どこにいても何をしていても、ずっとずっとその言葉が頭の中を反芻している……。
教室に入ると、もう由香達3人はすでに来ていた。
「あ、望未おっはよーう。」
最初に声をかけてきたのは由香だ。
「おはよー。また早くに来て勉強してたの?」
「うん、まあねぇ。昨日3人でお昼食べてる時に今日も早めに来てやろうってことになって。また望未誘うと望未自分の勉強できないでしょう。ってことで誘わなかったんだけど……3人で考えてても分かんないとこあってさー。」
由香は持っていたシャーペンを机の上に転がしながら溜息をついた。
「望未〜、おしえて〜。」
そう言ってきたのは敦子だ。
「うん、いいよ。」
「助かる〜。」
「ちょっと待ってね。」
望未は自分の机に鞄をおろして、中から教科書と筆記用具を取り出し準備をする。
その間に由香達はなにやらお喋りをし始めた。
2学年の時のクラスメイトの話らしい。
元々由香達3人は去年も同じクラスで仲が良かった。
だから時々由香達の会話に私の知らない話題が入ってくると、ついていけないところがあった。
望未は筆記用具だけ持って、近くからまだ来てない人の椅子を借りて咲江の机の反対側に向き合うようにして座った。
私の横には由香が、その向かい側に敦子が座っている。
「で、何が分からないって。」
「英語なんだけどねぇ。」
「あ〜、今日は一番苦手な英語だー。」
「敦子の場合一番苦手もなにもないでしょう。全部苦手じゃない。」
そう言ったのは向かい側に座ってる咲江だ。
「うるさいなー。はあ、外は晴れてるってのに心は曇り空。」
「そんなこと言うなっての。アタシまでブルーになってくるじゃん。そういえばさあ、曇り空っていえばこの間の土曜日ってスッゴイ大雨だったじゃん。午前中そんな降ってなかったから傘持たないで出かけたんだけど、午後になって急に降り出したじゃない。おニューの服がびっしょびしょで最悪だよ。まああの場合傘持ってても役に立たなかっただろうけど。そういや望未も土曜日出かけるって言ってたけど大丈夫だった?」
由香が横に振り向いて聞いてきた。
「ああ…うん…、土曜日……うん、少し濡れたけどギリギリで建物の中に入ったから……。」
「……望未、どうかした?」
由香のその言葉に一瞬望未はどきりとした。
「え…? なにが?」
「いや、なんとなく。」
「……。」
「ねえ、それより英語勉強しなくていいの? もうHRまで10分しかないけど。」
頬杖をつきながら教室の時計を確認して咲江が言う。
「げっ、ウソ?! マジで!?。」
由香と敦子は慌てて教科書を開いた。
望未はふと思う。
私が死のうとも、生きようとも、人は皆それぞれの進むべき道へと行ってしまう。
こうして過ごしている時もいつかは過去のものとなる。
1か所にずっと留まる人などいない……。
今日も3教科のテストを終えて、その開放感からか教室中は騒々しくなっていた。
「ねえ望未、今日帰りにどっか遊びにいかない? まあ明日もテストだけどさ、息抜きも必要じゃん。」
帰る支度をしていた望未に声をかけてきたのは由香だ。
「ん〜…今日は、ちょっと…。」
「…そっか。ならいいや。」
そう言って由香は敦子達のところへ戻って行った。
今はとてもじゃないけと遊ぶ気になんかなれない。
それに……。
望未は鞄を持って教室を後にした。
「なんか最近望未って付き合い悪いよね。なんていうか、ちょっと避けてるみたい。昨日もだけどこの間の月曜日に誘った時も、ねえ。」
由香を見ながらそう言ったのは咲江だ。
「まあねぇ…。ま、ムリヤリ誘う必要もないし、行きたくないってんなら、しょうがないでしょ。」
「んじゃあ、遊びにいこう!」
「敦子…さっきまで暗い顔してたくせに急に目が輝いてるよ。一応明日までテストだって分かってるのかな。」
やや呆れながら咲江は言う。
望未はそのまますぐ帰らず、テスト期間中で誰も使っていない美術室前の廊下の窓から、外を眺めていた。
たくさんの住宅やビルが青空を背景に建ち並んでいる。

例のことで頭を悩ませていると、突然横から聞き覚えのある声がしてきた。
「ずいぶんと悩んでいるようね。」
「上総……! なんで…ここに……。」
「ふふ…安心して、今私の姿はあなたにしか見えていないから。それに思屍人から目を離す訳にはいかないもの。」
「……やめてよ、その“思屍人”って呼び方…。」
「あらためて現実を押しつけられてるようで嫌だから、かしら…。」
「………。」
望未は上総から目を逸らし、再び外の風景に目を向けた。
「…それにしても、あなたも変な人ね。」
「?………。」
いきなり何を言い出すのかと、訝しがりながら上総を見た。
「あなたが忘れていた記憶を取り戻す時、その記憶とあなたの過去の記憶を見たわ。……あなたが思屍人になった理由……それは強い孤独ゆえね…。」
「!………。人の記憶を勝手に見るなんて…嫌なひとね。」
「ふふ。故意に見たんじゃないわ、あなたの記憶が私の中に流れ込んできたのよ。」
「………。」
「望未、あなたは孤独ゆえに思屍人になった。死は絶対の孤独だものね。それなのになぜ、あなたは人を避けるのかしら…。」
望未は軽く眉間にしわを寄せ、視線を落す。
「……あなたには関係ないでしょう。」
「まあそう言わないで。でも、ねえ変でしょう。寂しいのに人を避けるなんて、矛盾してるわ。」
そう言いながら上総は窓に歩み寄り、視線を外に移した。
「…あなたが人を避けるのは、失う時がくるのが怖いから、それによってまた孤独感に苛まれるのに絶えられないから、なのでしょう。」
望未は顔を上げて上総を睨みつけた。
「人間じゃないくせに分かったようなことばかり言わないでよっ。」
「さあ、それはどうかしら。」
「…何……どういう…」
「私は元々人間よ。」
「え……。」
「でも、そうね…今はもう人間ではないし、その時のことなんて覚えてないもの。」
「………。」
「それより期限は明後日よ。忘れないでね。……まあ、忘れたくても忘れられないわね……ふふ。それじゃあ。」
上総は翻ると、すうっと姿を消した。
「なによ………なんなのよ……っ」
望未は家に帰ってじっとしていてもろくな事考えないからと、今日も街中をあてもなく歩いていた。
それは街の中にいても変わらないことなんだけど、少しは気が紛れるかと思ったから。
でもどこにいようが、何をしていようが時間は残酷に過ぎていく。
通り過ぎたカフェやレストランからは、甘い匂いや香ばしい匂いが漂ってきたが一切そそられなかった。
思屍人は屍だから食欲がわかないらしい。
実際のところ、ここ数日口にした物と言えば昨日食べたサラダのプチトマトひとつくらいだ。
それなのにプチトマトの味も思い出せない。
上総に思屍人だと言われたものの、まだどこか実感しきれていない自分がいる。
食も睡眠も必要なくて、死んだ時の事も覚えてる。
でも今こうやって考えてる自分はいったい何なのだろう。
そういえば……、と思い、望未は苦い表情を浮かべた。
「嫌なこと…思い出した……。」
そう、私は昨夜死んだ時の事を思い出した。
“死”の記憶を覚えている。
それは頭で考えるものじゃなく心で見るもの。
ほんの一時のことだったけど、寒気がするほどよく覚えている。
死んだ瞬間ぷつりと思考が途切れ闇が広がった。
何も考えられない、何も聞こえない。音も光も五感も奪われ、自分の体がどこにあるのかさえ判らない。
あの後どうなるのかは分からないけど、今は考えられるから死んだ瞬間を感じられる。
自分にとっては恐怖そのものの世界だった。
………ああ、やっぱりろくな事考えない。
重たい足を引きずるように歩いていると、馴染み深い後ろ姿を見つけた。
小走りで近づき声をかける。
「龍司……?」
「ん?…あ、望未!」
振り返ると少年は人懐こい笑顔を向けた。
「久しぶりだな。ゴールデンウィークの時以来か。」
「うん。龍司は今日部活なかったんだ?」
「まあな。俺らの高校も今テスト期間だから、その間は部活休みになってんの。それに来週他校との練習試合が終わったら、3年は引退だからなあ。」
「そっか。」
龍司とは中学校の時に同じクラスになったことがあって、龍司と友達だった彰斗、それと龍司の幼馴染でもある奈々子と4人一緒にいる事が結構多かった。
あの頃の歳で男の子と友達みたいに仲良くやってたってのはわりと珍しいと思う。
龍司は中学の時にサッカー部に所属していて、高校もサッカーで有名な学校に進学した。
「でもま、部活引退してもしばらくはちょこちょこ顔出すだろうし、部活の奴らとは部活の時以外もよく一緒にいるから、引退って言われてもあんましっくりこないな。」
「ふうん。部活仲間とは、結構仲良いみたいだね。」
「3年間一緒に頑張ってきたわけだしな。休みの日とかもよく一緒に遊びにいったりしてるし、楽しいよ。」
「そう…。」
肩を並べて歩いてると、急に思い出したかのように龍司が聞いてきた。
「そういえばさ、彰斗から聞いた? 夏休み4人でどっか行こうってやつ。」
「うん。」
「まあ皆今の時期忙しいだろうし、まだはっきりと決まったわけじゃないけど、久々にさ、また4人で行けたら行こうな。」
「そうだね…、まだ先の予定は分からないけど、行けるといいね……。」
途中、龍司はふと立ち止まった。
「……? 龍司どうかしたの?。」
「いや、なんて言うか、うーん。望未何か悩み事でもあるのか?」
「……なんで?」
「なんかいつもと違うじゃん。元気ないみたいな…。」
望未は思う。
自分はもうとっくに死んでるなんて言えるわけがない。それに誰かを犠牲にしなきゃ、屍に宿る心さえも明後日には消えてしまうんだと……。
「そう? そんなことないと思うけど。ああ、ほら、テスト期間中だから勉強疲れからかも。」
「そうか。」
「うん。」
「てっきりまたおばさんの事で悩んでるのかと思った。」
「………。」
「…なあ、望未。」
「…ん?」
「こんなこと余計なお世話かもしれないけどさ、今って将来どうするか決めるための一番大事な時期だろ。だからやっぱちゃんとおばさんと話し合った方がいいんじゃないか。」
「…無理だよ。」
「望未……。」
「だって、今週に入ってあの人と家で顔あわせたのって一度きりだよ。目あっても何も喋らないし。」
「………。」
「あの人は逃げてるんだよ。家を出て行った父からも、私からも。結婚した事実も、私のこともなかったことにしたいの。別にもういいよ、あの人のことは。」
「……望未…。」
龍司は何か言葉をかけようとしたが、かける言葉が見つからなかった。
「それより龍司の行く方向になんとなく私も付いてきちゃったけど、今からどっか行くところだったの?」
「…あ、ああ。駅前の食堂で部活の奴らと友達と昼メシ食う予定なんだ。あいつらは先に向かったからもう食べてるころだろうけど。」
「そうなの。じゃあ私は帰るね。友達待たせるのも悪いでしょ。じゃあね。」
「あ、ちょっ、望未」
龍司が望未を呼び止めようとした時、数歩先に行ったところで望未が一度振り返った。
「龍司……」
「………?」
望未は何か言いかけたが、途中で口を噤んでしまった。
「ううん、やっぱなんでもない。それじゃあ、バイバイ…。」
望未は龍司に再び背中を向けると、小走りで帰っていった。
どこか陰りのある後姿が見えなくなるまで龍司は見送った。
「……あいつ、ほんとに大丈夫か…。一人で抱え込んで無理するようなところがあるからな……。」