【 第一幕 〜死後の選択〜 】 第三話
“どうしてこんな事になったんだろう”
そう何度も心の中で呟いてみる
取り戻しようのない過去にすがりながら……
期末テストも最終日を迎え、全科目のテストを終えた頃校内の重々しい空気もすっかり消え、テストの結果よりも、生徒達の頭の中は明日からの連休の事でいっぱいのようだった。
奈々子は帰りの支度を一通り終えると、教室を抜け出して望未のいる教室へと向かった。
望未のクラスとは教室が離れていて普段行く事はあまりないのだけど、気がかりな事があったから…。
6組の教室の前まで来ると、廊下から教室の中をうかがったが、その中に望未の姿は見あたらなかった。
もう帰ったのかな、と思いながらもう一度教室の中を確認していると、一人の女子生徒と目が合った。
「(あの人はたしか望未の友達の…)」
奈々子は望未の事を聞こうと教室に近づくと、向こう側もこちらに近づいてきた。
「3組の小沢サンじゃない。え〜と、小沢……あ、“奈々子”だ。アタシは由香ってんの。望未に用なの?」
「うん、そうなんだけど…もう帰っちゃった?」
「ああ、うん。ホームルーム終わってすぐにねー。」
「…そっか。」
「あ、そだ。ってゆーかさ、最近望未ちょっと変なんだけど小沢サン何か知らない?」
そう聞かれ、奈々子は返答に一瞬詰まりそうになった。一つだけ思い当たることがあったからだ。でもここはあえて「知らない」と答えた。
「ん〜、小沢サンも知らないか。あっ、引き止めちゃってゴメンね。」
奈々子は由香に礼を言ってその場を後にした。
「…やっぱり、避けてるのかな…。」
自分の教室へ戻ると、隣のクラスの彰斗と一緒に帰った。
奈々子は彰斗と肩を並べながら、3階のちょうど南側に位置する美術室前の廊下を通り過ぎようとした時、ふと窓の外に小さな人影を見つけた。
学校の横には間に車道をはさんで川が流れている。その川辺にぽつんと小さな影はたたずんでいたのだ。
この距離から顔ははっきり確認する事はできなかったが、長い付き合いの奈々子にはその人影が誰なのかすぐに分かった。
奈々子は思わず窓へ駆け寄る。
「ん?奈々子どうした…。」
彰斗は奈々子の後ろから目を凝らして小さな人影を認めた。
「…ってあれ? あそこにいるの…望未…だよな…? 何やっているんだ、あんな所で。」
「彰斗。」
「うん?」
「ちょっと先に帰っててもらっていいかな。望未と話したい事があるの。」
「?…別にいいけど…、じゃあ先に帰ってるよ。あ、そうだ。明日から連休だし、どこか行こうな。」
「うん、帰ったら電話するね。」
奈々子は彰斗と別れると、駆け足で学校横の川辺に向かった。
青空の下、望未はただぼうっと日の光を浴びてキラキラ光っている水面を見ていた。
聞こえてくるのは近くを走り去っていく車の音。
だけどよく周りの音に耳を傾けてみると、こちらに向かってくる足音に気づいた。
後ろを振り向くと、そこにいたのは奈々子だった。
走ってきたのか息を切らしている。
「奈々子……。」
奈々子は呼吸を落ち着けると口を開いた。
「今日は、逃げないんだね。」
「……。」
「最近望未、私のこと避けていたでしょ…。私が彰斗と付き合いはじめたから…?」
「……。」
「もうこの際、望未にはっきり言っておきたい事があるの。このままずっとこの気持ち引きずってるの嫌だから…。」
「……何。」
「望未。ねえ望未も…彰斗のこと…好きだったんでしょう? ……知ってたよ、好きだったって。」
「……。」
「でも、私悪いとか思ってないよ? だって、私だってずっと前から好きだったんだから…。」
「うん、知ってる…。」
「え…」
「知ってるよ。奈々子が彰斗のこと好きだって事、ずっと…ずっと前から私も知ってた…。」
それを聞いて奈々子は顔をしかめる。
「じゃあ…何? 私が彰斗のこと好きだって事知ってて…私に彰斗を譲ったってわけ?! 私を馬鹿にしてるの!?」
「違うっっ!」
望未は大声で否定した。
「違う…そうじゃない…。だって…自分の恋よりも大切なものがあるのに……。でもやっぱり、それももう…どこかへ行っちゃった……ねえ、奈々子?」
どこか虚ろな眼で望未は奈々子を見た。
「望未……?」
望未は奈々子から顔を逸らすと、特になんの変哲もない、建物が建ち並ぶ周りの景色に目を移した。
「…私さ、親がああだから、小学生の時とかたまにクラスの男子にからかわれたりした事があったじゃない? 私はそういうの無視してたんだけど、奈々子は怒ってグーで殴っちゃってさ、その男の子泣いちゃったんだよね。それで私を含めて3人、職員室に呼ばれちゃったんだけど。」
望未は小さく笑った。
「そういえば昔は…この川辺でもよく遊んだよね……。」
懐かしそうに幼き頃を思い浮かべながら、ゆっくり奈々子を振り返った。
「望未…どうしたの急に……?」
そう問うた瞬間、望未の表情にひどく暗い影が落ちた。
「…別に…どうもしないよ。」
望未は顔を逸らした。
嘘だ、と奈々子は思う。
いつもの望未と比べると明らかに様子がおかしかった。
奈々子は望未の両肩を掴んで振り向かせる。
「何か…隠してるでしょ? 何があったの?」
「………。」
「黙ってないで何か言ってよ!!」
「…放して……放してってばっ。」
望未は奈々子の手を振り解く。
「……昔からそう。肝心な事はなかなか話してくれないじゃない……。」
奈々子は少し悲しそうな顔をした。
「……じゃあ…私が死んだって言ったらどうする…?」
「……?え…なに…どういう……?」
奈々子は望未の言っていることがよく理解できず、眉をひそめて困惑した。
望未はそれを読み取り、笑みをつくってみせる。
「ふっ…冗談、冗談だよ。」
「…望未」
奈々子は何か言いたそうだったが、望未はそれを遮った。
「だからさ、何でもないんだって。……私はただ……ただ……」
(私はただ……)
その言葉の続きを吐き出してしまいたかった。でもプライドが許さなかった。何よりその続きを言ってしまうと、人前でこれ以上正気を保てなくなってしまいそうだった。
出しかけた言葉を飲み込むと、望未は堅く口を噤んで目を伏せた。
「…望未、ねえ…」
奈々子の声に望未は顔を上げると、ふと奈々子の背後からこちらに向かって走ってくる人影に気がついた。
「奈々子、迎えだよ。」
「迎え…?」
奈々子は望未の視線をたどり背後を振り返る。
「彰斗…。」
「よかった、まだいた。奈々子に借りてた教科書、鞄に入れたまま返すの忘れてたから返しに来たんだけど……ごめん、話し中だった?」
奈々子は、横に歩み寄って来ていた望未をチラリと見た。
「ほらね、奈々子。結局奈々子も、私から離れていっちゃった…。」
「え……望未?」
「じゃあ私帰るね…。」
「ちょっと待って…待ってってばっ。望未!」
望未は奈々子を振り返らず、そのまま彰斗の側を横切って帰っていった。
「…どうしたんだ望未……。望未と何かあったのか、奈々子……?」
「………。」
家へ帰っても特に何もする事はなかったが、今日は街へは出向かず、望未は真っ直ぐ家へ帰った。
人の多いところへ行くと現実を強く突きつけられるから、それが嫌だったからだ。
街中を行く人達は、何事もなく当たり前のように明日が訪れるのだと、無意識的にそう思って過ごしてる。それを目の当たりにすると、耐え難い吐き気と絶望感に襲われそうになる……
だって私はこの世界にいられるのは明日までかもしれない……っ
家の玄関へ入りドアを閉めると、そのままドアへもたれ、ずるずると背を引きずりながら座り込んでうつむいた。
「私は……私は……」
頭の中をこだまする感情は奈々子に会ってどんどん大きくなっていた。
頭はグラグラして気分が悪いが、その感情が身体中をのっとり渦巻いてきているのが判った。
私は……私はただ…
「寂しい?」
ビクっと望未は顔を上げる。
上総は正面に見下ろすようにして立っていた。
「寂しいのでしょう。その想いがあなたを思屍人にしたんだもの。」
「………。」
望未は顔をしかめながら立ち上がって、荒々しく家の中へ入った。
ダイニングテーブルに鞄を放り出すように置くと、椅子に座って頭を抱え込む。
頭を抱え込んだ手は孤独と絶望で震えていた。
「見ていたわよ。“あの子”があなたの一番大切ね…。小さい頃から仲良かったのでしょう? 両親共に離れていったあなたには、支えとなる存在だったのでしょうね。でも…結局彼氏にとられちゃった。」
「うるさいっっ!」
テーブルを叩きながら怒鳴った声は震えていて、今にも泣きそうだった。
上総はそれを見てからかうかの様に笑った。
「大丈夫、その苦しみも明日までよ。」
「明日には心も狩り捕られて消えちゃうんじゃないっ!!」
「生き返れるチャンスがあるでしょう。“大切な人を一人殺す”。奈々子を犠牲にしてしまえばあなた生き返れるわよ。ふふっ。」
「っ黙れ!!」
望未はテーブルに置いてあったグラスを上総目掛けて投げつけたが、その瞬間上総はふっと姿を消し、グラスは壁にぶつかって砕け散った。
上総のいた場所からは、姿は見えずとも冷ややかな笑い声だけは聞こえてきた。
「うるさい……っ…消えろっ、消えろ 消えろっっ!」
すべてを吐き出すかのように声を上げて泣いてしまいたかった。泣きたかった。
でもこの身体は泣く事も許されぬようだ。泣きたくても涙の一滴も出てこない。
「うっ……うぅっ…」
泣けない事がこんなにも辛いとは思わなかった……この身体の内に溜まった感情をどうすればいいっ?!
涙で流すことさえできない……っ!
望未は行き場のない感情を周りのものにあたった。
悲鳴にも似た声を上げながら手当たりしだい物を壊していく……。
気づいた時にはダイニングルーム中めちゃくちゃになっていた。カーテンはずれ落ち床には食器の破片が散乱し、椅子も横たわるように倒れていた。
そんな中、望未は脱力したように床にぺたりと座った。
その時、望未の手のひらに痛みが走った。
「痛っ!?」
左の手のひらを見てみると、3センチほど、ガラスが肉に食い入る様に突き刺さって切れていた。
上総に投げつけた時のグラスの破片で切ったのだ。
突き刺さったガラスの破片を取り除くと、傷口からはまだ体内に残った血液が少し流れてきていた。
そしてその次の瞬間、望未は自分の目を疑った。
「…なに…これっ!?」
傷口が端の方からみるみる塞がっていき、あっという間に傷口が跡形もなく消えてしまったのだ。
「傷が…消えた…。……ふ…ふふ…あっははははははっ。これじゃあ私、化け物じゃない。切っても再生するなんて…。でも…そうだね、化け物だ。だって屍が動いてるんだもん……はは…あははははっ」
望未は半ば狂ったように笑った。
午後4時。
外はまだまだ明るいが、時計の針は確実に少しずつ時を刻んでいる。もう一日半もない。
望未はどのくらいダイニングルームに座り込んでいたのだろうか。電気をつけてない家の中は仄かに薄暗かった。
しんとした家の中、時計の針が進む音だけが耳障りなほどに聞こえてきた。
「…いやだ……死にたくない…死にたくない……死にたくない……」
まるで呪文を唱えるかの様に、小さく細々と繰り返し、繰り返し呟く。
そこへ聞き覚えのある声が割って入った。
「だったら…犠牲を払わなきゃ。ねえ?」
「………。」
「前にも言ったように、その後のことは何も心配いらないわよ。何もなかったかのように、思屍人だった事の記憶も、奈々子という人間が存在した事実も消してあげるから。」
「………」
「そもそもあなたが思屍人になったきっかけは、あの子の存在があったからなのでしょう。なら、ねえ…。」
上総は誘うように耳元で囁く。
「……そう……そうね……奈々子がいなくなればいい…。そしたらこの苦しみもきっと……なくなるよね……ふふ……ふふふっ。」
そう言うとすっと立ち上がって、ふらふらと少しよろめきながら歩き、テーブルの上に置いてある鞄の中から携帯電話を取り出して電話をかけた。
「……あ、奈々子? 今日はごめんね。うん…、ねえ明日予定ある? …うん」
喋る声は不気味なほどに明るかった。
望未は電話をしながらキッチンへ行くと、引き出しの中から包丁を取り出した。
先の尖ったその包丁の刃の側面を反しながら、確認するように眺める。
「久しぶりに二人で遊びに行かない? …そう…うん、うん。良かった…それじゃあ明日、待ってるから──……。」
