【 第一幕 〜死後の選択〜 】 最終話
朝が明けた……──
何故だか、今日は妙に気分が軽い。
昨日までの苦しみが嘘のよう。
今日ですべて決着がつくと思うと、少し愉快な気持ちになった。
微かな笑いが漏れる。
望未はお風呂に入り、出かける準備をする。
ピンクのキャミソールとデニムのミニスカートに着替えると、軽く化粧をして、フローラル系の甘い香りの香水を首筋にそっと吹きかけた。
支度を終えると、キッチンから包丁を持ち出し、2階の自分の部屋へ戻る。
「……薬物とかじゃだめね。……一思いに、確実に殺さなきゃ……。」
包丁を白い布で包むと、包丁を納めるための袋を、机の引き出しや棚の中から探し出す。
クローゼットの中も探していると、小さい頃おもちゃ箱として使っていた大きな箱を見つけた。
その中には使い終わったノートや教科書、ランドセルが入っていて、その中に混じって、幅6センチほどの細長いピンク色のキルト生地の袋を見つけ出した。
袋の口の方には白い紐がついていて、先を絞った形の物だった。
その袋は、小学校低学年の頃にリコーダーケースとして使っていた物で、母親が作ってくれた物だ。
だが望未は何の躊躇もなく、丁度良いサイズのその袋に凶器をしまった。
そしてそれを鞄の底に忍ばせる。
時計を見ると、午前9時45分。
奈々子との待ち合わせの時間である10時半より、少し前に着くように家を出ることにした。
階段を下りると、すぐ目先にある玄関に、母親のハイヒールが脱ぎ捨てられているのを見つけた。
(…帰ってきてたの……)
望未はそれほど関心なさそうに、ふいっとハイヒールから目を逸らし、靴箱から履く靴を選んでいると、ダイニングルームの方から急くようにこちらに向かって歩いてくる音が聞こえた。
その足音が近づいてくる方向を振り返ると、眉間にしわを寄せた母親がそこに立っていた。
「……ダイニング激しく荒らされてたけど、あれどうしたの…?」
母親は軽く目を伏せ、望未から視線を逸らしながら聞いてきた。
望未はそれにそっけなく「別に。」と答えると、母親は軽く溜息をついた。
「あの荒れ様は“別に”って感じではないと思うけど……。」
「…帰ってきたら片付けるわよ。それより急いでるから。」
靴箱から取り出したミュールに足をおさめ、玄関のドアに手を伸ばした時、母親が望未を引き止めた。
「…何?」と、望未は若干気だるそうに振り返る。
「今日話したいことがあるから、なるべく早めに帰ってきてちょうだいね。」
「──……話したいこと…?」
怪訝そうに望未は母親を見た。
「今ママがお付き合いさせてもらっている、高科(たかしな)さんって言うんだけどね。その人がママに結婚しようって言ってくれて…、それで今後の事について話し合いたいの。」
「……結婚したきゃ、勝手に結婚でも何でもすればいいじゃないっ。」
望未は吐き捨てるように言って家を出ようとすると、望未の左腕を母親が掴んできた。
「待って、お願いっ。今までの事は謝るからっっ。」
「…謝る……? ふんっ、笑わせないでよっ!」
望未は冷めた目で、顔を引きつらせながら言う。
「ごめんなさい…怒らないで…。ママもずっとあなたには悪いと思ってた……。けどあの人が家を出て行ってから、あなたが学校に行ってる間家の中に一人で…寂しくて……。ごめんなさい…ごめんなさい……。」
母親はその場で、望未の腕を掴みながら泣き崩れてしまった。
「やめて…やめてよ……やめてよ今さらっっ!!」
望未は腕にしがみついた母親の手を強く振りほどいた。
「そうやって泣いて、自分だけが可哀相みたいなふりしないでよっ! もうあんたの泣く顔を見るのはうんざりっ。」
母親はなおも謝りながら涙を流してる。
「謝ればそう簡単に私が許すとでも思ってるの?! 今まであんたが私にどれだけ母親らしい事してきたっていうのよ……。小学生の頃の運動会や授業参観にだってまともに来た事もない。弁当だってあまり作ってくれたことも、中3の進路を決める大事な時期の三者面談にさえ来てくれた事もないじゃないっ! なのに今さら…──。」
望未は勢いよく玄関のドアを開けると、母親をその場に残したまま、飛び出すように家を出て行った。
「最低……。」
青く澄みきった空を仰ぎながら望未は呟く。
照りつける日差しは、相変わらず肌が焼けるように暑かった。
待ち合わせの時間の10時10分前。
望未、はショッピングモールの中心にある広場の中央に設置された、涼しげな白の噴水の前で奈々子を待った。
時折鞄の中身が気になっては、鞄を開けて中を確認する。
そして待ち合わせの時間を3、4分過ぎた頃、噴水の側のベンチに座っていると、手を振りながらこちらに向かってくる人影が見えた。
奈々子だ。
「ごめん、少し遅れた。」
「ううん、大丈夫。まだ時間そんな過ぎてないよ。」
「そう、良かった。」
望未は座っていたベンチから立ち上がる。
「急に約束しちゃったけど、予定とか大丈夫だった?」
「うん、だいじょぶ。ふたりで、こうやって遊びに行くのって久しぶりだね。」
そう言って、少し間を空けると、「それに。」と言って真剣な面持ちで望未を見た。
「昨日変な別れ方しちゃったからさ…、やっぱりもう一度望未とふたりで話したいって思ってたし……って、あ、ごめん。変な空気にしちゃって。」
「ううん…。ところで奈々子、今日は何時まで大丈夫?」
「結構遅くまで大丈夫だと思うけど。」
「そう、良かった。」
そう言って望未は笑顔を見せた。
それを見て奈々子は少し安堵する。
昨日はずっと暗い顔をしてて、様子がおかしかったからだ。
しかし奈々子は見落としていた。
その笑顔に潜む狂気を……──。
望未と奈々子は、たくさんの店が建ち並ぶショッピングモール内をお喋りしながら一通り散策すると、一軒の洋服店に入る。
店内には夏らしいカラフルで鮮やかな洋服がたくさん並べられ、真っ白な壁にはコーディネイトされた服がいくつか掛けられていた。
店に入るなり、奈々子は店内の棚に並べられている服を見てまわる。
「結構新しいの入荷してるじゃない。あ、このスカートなんか望未に似合いそう。」
そう言いながら、奈々子はまだ店の入り口付近にいる望未を見た。
「ほら望未。そんなとこに突っ立ってないで、これ着てみて。」
奈々子は半ば強引に望未を店内に引っ張った。
「…これ、…着るの?」
「そうそう。ほら。」
「うん………。」
こうやっていると、奈々子が彰斗とつき合う前の時に戻ったようだと、一瞬思った。でもそんな過去の事にひったっている場合ではない、と跳ね除けた。
どうやって人気のない所に誘おうかと考える。
こんなことしてる場合ではない、早くしなければと思う。
早く、早く、早くと………。
それはどこか自分に言い聞かせるように──…。
その後奈々子と、雑貨店、CDショップをまわった。
「あっ。ねえ、プリクラ撮りに行かない。」
「え…。」
突然奈々子が思い出したように言った。
「ゲームセンターすぐそこだし。ね、行こう。」
そう言って奈々子は目の前のゲームセンターに入っていった。
「あ…、ちょっと待ってよ。」
望未も奈々子の後を追うように、ゲームセンターの中に入った。
「うわあ、人いっぱい。…あ、向こうのやつ空いてるじゃない。」
奈々子は望未の腕を引っ張りながらぐいぐい進んで行く。
プリクラ機の中に入り、奈々子は小銭を取り出して入れると、望未の肩を掴んで横につれて来る。
「ほら、笑って、笑って。」
「………。」
奈々子と会って、こうやって私が死ぬ以前のように休日を過ごしていると、どんどん気持ちが揺れてくる自分に気づく。
それでも私の身体を生き返らせた、奥底に根付く感情は消えやしない。
身体を生き返らせるほどの強い思いは、刻一刻と迫り来る時間と睨み合いながら広がり続けている。
ただただ、“サミシイ”と。
ゲームセンターを出て、望未たちはショッピングモール中央の広場に来ていた。
「望未、私ちょっとお手洗い行って来る。」
「…あ、それじゃ私も…。」
もし誰も人がいなければチャンスかもしれない、と思う。
二人はショッピングモール内に設置されたトイレの中に入っていった。
中は広々としていて、白い壁や床、鏡はきれいに磨かれていて清潔感があった。
奈々子の後ろから付いて歩いていた望未は、周囲を静かに見渡す。
(……誰も…いないみたい……)
望未はゴクリと唾を飲む。
鞄の中にゆっくり手をしのばせると、鞄の底にある包丁を握りしめた。
(今だ。今なら殺せる……。早く…早く早く、人が来る前に……!!)
望未は息を潜ませながら奈々子の背後にゆっくり近づく。
心臓はもうとっくに止まっているはずなのに、不思議と左胸の辺りからドクン、ドクンと心臓を強く叩くような音が聞こえてくるような気がした。
包丁を握った左手を鞄の中から半分ほど出し、握る手に力を籠めたその時、
「ママ〜、はやくー! もれちゃうよぉ。」
望未の背後から声が聞こえてきた。
望未はビクっと身体を強張らせ、とっさに左手を鞄の中に押し込んだ。
親子連れがトイレに入ってきたのだ。
望未は内心「クソっ。」と舌打ちしながらも同時に、張り詰めた緊張感が解けて、望未の体全身から汗がどっと噴出してきた。
涙は出ずとも汗は出るのか、と思う。
(もうちょっとだったのに……。)
そう思いながら下唇を強く咬んだ。
「ねえ、もう1時半前だし、お腹空いてこない?」
「うん、そうだね…。どこかに食べに行こうか。」
実際のところ、望未はまったくお腹など空いていなかったのだが、奈々子に合わせることにした。
二人はショッピングモールを後にし、街の中へと出た。
休日なだけにさすがに人が多く、平日よりも賑わっている。
昼食は何を食べようかと、奈々子と話をしながら街中を歩いていると、よく知っている人影を見つけた。
「あれ…彰斗?!」
最初にそう言ったのは奈々子だ。
その声に気づき、彰斗もこちらに歩み寄ってきた。
「奈々子と望未!ぐーぜんっ!。」
そう言うと、ニッとさわやかに笑顔を見せた。
彰斗は淡いブルーのシャツに黒の蝶ネクタイとズボン、両手には買い物袋を持っていた。
「彰斗今日バイト入れたの?」
奈々子が両手の買い物袋を見ながら言った。
「ああ。ほんとは休みだったけどな。今日暇になっちゃったし、他の人とシフト入れ替えてもらったんだ。それで今そのバイトのおつかいの途中なの。」
「……もしかして今日、奈々子と出かける予定だった?」
望未は彰斗に聞いた。
「あはは、気にするなって。望未が昨日奈々子を誘ったんだろう。せっかくだしさ。奈々子もしばらく望未と二人で出かけることなかったから、久しぶりに二人で遊びに行きたいって言ってたし。それに俺、二人が一緒にいるとこ見るのすきだし。」
「?どういうイミ…?」
奈々子は軽く首をかしげる。
それに対して彰斗は「言葉そのままのイミ。」と微笑みながら言った。
「そうだ。二人とも昼メシもう食べた?」
「ううん、今からだけど。」
「俺がバイトしてるファミレスすぐそこだから寄ってけよ。おごるからさ。」
「え、いいの?」
「ああ。」
「──望未、どうする?」
昨日の事があってか、奈々子は少し望未の反応を気にしてるようだ。
「……私は別にいいけど…。」
「それじゃあ、行こう。」
こうして彰斗のバイト先のファミレスに行くことになった。
大丈夫 まだ時間はある……
彰斗の名前を使っておびき出すことだってできる…
今度はもっと慎重にやらなきゃ……そして……
ごめん奈々子 だってやっぱり私 死にたくないの……
彰斗と奈々子を目の前に、過ぎる時間と“生”に執着した心は再び狂気の色を映し出す──…。
彰斗は買い物袋を持ったまま店内の奥へと行くと、他のウェートレスが一番奥の角の席に案内した。
二人は向かい合って座り、ウェートレスが水の入ったグラスと冷たいおしぼりをテーブルに置くと、二人は注文を済ませた。
ウェートレスがその場から離れると、二人は一呼吸置いて落ち着き、真剣な面持ちで最初に奈々子が口を開いた。
「朝にも言ったけどさ、昨日変な感じで別れちゃったから、もう一度ゆっくり話したいと思ってたの。正直、もう二度と口利いてくれないかもとか思ってたから、昨日望未の方から誘ってくれて嬉しかった。」
「………。」
奈々子はグラスの水を一口飲む。
「私達今年で高校も卒業じゃない。だから彰斗に対する気持ちにもケジメつけたかったの。その先の答えがなんにせよ。自分の気持ちを伝えたこと悪いとは思ってない。望未の気持ちを知ってたとしても。……でもやっぱり望未に対して後ろめたさがあったのも本当。告白する前からずっと悩んでた。どちらかを選べば、どちらかを手放さなきゃならないだろうって…。それでも彰斗に正直に言いたかった。それで望未を傷つける結果になったとしても。…ひどいと思う?」
「べつに…ひどいなんて……。」
「ふ…本当なら私今、望未に口利いてもらえない立場にあるのにね。…望未昨日、私と彰斗がつき合い始めた事気にしてないって言ってたけど、少しも気にしてないなんてウソ。自分が好きだった相手が誰かとつき合い始めて少しも気にならないわけないじゃない。」
「それは……。」
「昨日ずっと暗い顔してたから、家に帰ってもずっと気になってて…、その原因ってやっぱりこのことかなって思ってて。今日望未は私のこと誘ってくれたけど、本当のところ今私のことどう思ってるの? …本当はまだ私のこと嫌いだとか、そう思ってるなら……。だって私はそれを覚悟で告白したんだから、仕方ないよね……。」
奈々子は少し悲しそうに視線を落とした。
「違うの…そうじゃない……奈々子は何も悪くない。彰斗のことでまったく気にならないって言ったら嘘になるけど…でもそのことで悩んでたわけじゃなくて、私は…私はただ奈々子が……」
望未の頭にフっと自分の目的がよぎる。
(何を言おうとしているの私……もうすぐ目の前にいる人は…私が殺してしまうのに……。)
「私が、何?」
奈々子は望未の顔を覗きこみ聞いてきたが、望未は口を噤んだ。
「………。」
「それじゃあ何…? 他に何か悩んでいる事あるの? ……無理に聞き出そうとしてるかな、私。……私がこんな事言う資格もうないかもしれないけどさ、私はただ、望未が心配なんだよ。」
「っ………ううん、何でもないの。本当に…何でもないから。」
「本当に?……」
「うん、別に何でもない。私は大丈夫。大丈夫だから。」
「ウソ。」
「っ!! 何でもないって言ってるじゃないっ!」
「じゃあなんで、今にも泣き出しそうな顔してるの。」
「っ!!!」
「……望未は昔から、悩んでても一人で背負い込んで…、私がどうしたのって聞いても、大丈夫だって言って笑って…。そんな望未の姿を見るのがすごく辛かった。……私ってそんなに頼りなかった?」
「……違う。言わなかったんじゃない。言えなくなってた。…父さんが出て行った後“あの人”は泣いてばかりだったから、子供の私は泣けなかった。自分がしっかりしなきゃって…。でもそれがいつのまにか頑なになって、言えないようになってただけ……。」
そしてそれはいつしかプライドと言う名の包み紙で覆われ、弱い自分の本心を隠してた。
心配させたくなかったから、傷つきたくなかったから、惨めな自分になりたくなかったから……。
「望未……」
奈々子と話してどこか少しすっきりしてる。
でも心の中で広がり続け、この数日で黒く淀んでしまった感情は消えてくれない。
だってそれは心の奥底に鍵をかけてずっと閉まってあった本心なんだもの…。
死にたくない
死にたくない
死にたくない
だって死は……
「さみしい……」
「……望未。」
「っ……!」
心の中で呟いたつもりが、思わず口に出してしまったことに望未はハっと気づく。
それは消え入るようなか細い声だったが、奈々子はそれを聞き逃さなかった。
「それで昨日、あんな事言ってたの……。…気づいてあげられなくてごめん……。でも望未、私はどこにもいかないよ。」
「っ!! 嘘よっっ! 奈々子だって父さんが“あの人”を見捨てたように、“あの人”が外に男つくって私を見捨てたように皆私から離れていくのよっ!!。」
「望未っ!」
そう言って奈々子は望未の両手を包むように握ると真っ直ぐ望未の目を見た。
「私は望未のお父さんでもお母さんでもない。私は望未が望んでくれるのなら、ずっと友達でいたいと思ってる。そう簡単に離れていかないから、だからそんな顔しないで。」
「っつ……!!。」
もしも涙が出るのなら、今私は泣いていたかもしれない。
心の靄が少しだけ晴れた気がした。
奈々子が握りしめていた手をゆっくり解くと、望未は力が抜けたように椅子の背もたれに体を預けた。
その時、側に置いていた自分の鞄が指先に触れる。
その鞄の中には何が入っていただろうか。
忘れかけていたけど何をしようとしていた──…?
本来の目的を思い出す。
そう、私死にたくなかった。死は“サミシイ”から、死にたくなかった。離れていかないものが欲しかった。
だから完全に離れていってしまう前に奈々子を自分の手で殺してしまおうと──…。
望未は自分のしようとしていた事にゾクリと寒気を覚えた。
私はいったいどんな顔で包丁を手にしていた…?
どんな目で奈々子を見ていた!?
浅ましいっ。
自分が死にたくないからと人を殺していいはずがない。
本当は、そんなこと判ってた。判ってたのっ。
けど本当に寂しくて、寂しくて、独りになるのがいやで…。
でも…、繋ぎ止められても、大切なものがなくなったら寂しいのに変わりはないのに…、いくら奈々子が存在してた事実が消えたとしても“存在を忘れる”っていう事は寂しくて、つまりそれは彰斗だって傷くってことで……寂しい思いを一番よく知っていたのは…私自身だったのに──……っ。私は、私はっ…──。
「どうしたんだ、二人とも。大声出して。他の客が見てるぞ?」
そう言ったのは、注文した料理を運んできていた彰斗だった。
「彰斗……」
奈々子は彰斗を見上げる。
ずっとうつむいて無言なままの望未に彰斗が気づくと、望未に声をかけた。
「望未?気分でも悪いのか?」
「望未……。」
奈々子も心配そうに望未の顔を覗きこむと、望未は自分の鞄を掴んで勢いよく立ち上がり、彰斗の側を横切って走りながら店の出口を目指した。
「望未っ!?」
奈々子も急いで立ち上がって一歩前に出ると、側にいる彰斗を振り返った。
「彰斗も早くっ!」
「えっ!?」
彰斗は急かされながら手に持ってた料理をトレーごと置くと、奈々子と共に望未の後を追いかけた。
「上総、上総っ。近くにいるんでしょう!?」
望未は街の中を駆けながら姿見えぬ相手に話しかける。
「私…、やっぱり殺すことなんてできない。殺せるわけないじゃないっ。……今の私は“あの人”となんら変わりない。寂しさに耐え切れずに現実から目をそむけていた母さんと……っ」
望未は心に巣くう感情を振り払うかのように走った。
そして赤信号に変わりかけた横断歩道を半分まで渡りかけたその時、後ろから望未の名を呼ぶ奈々子の悲鳴が耳に入った。
「望未あぶないっっ!!!!」
「えっ───…?」
ふいと横を振り向いた時、ブレーキ音と共に大型のトラックが勢いよく望未をめがけて突っ込んできた。
この瞬間、
『トラックにひき潰されても私は生きてるのだろうか。』
そんなことを思った──…。
それは一切の雑音を遮断された静寂の中。
最初に耳が捉えたのは、必死に私の名を呼ぶ誰かの声だった。
重いまぶたをゆっくり上げると、かすんだ目が映したのは二つの影。
二、三度瞬きをすると視界がはっきりし、それが奈々子と彰斗であることがわかった。
「…奈々子に……彰斗…。ここは…?」
望未は体を起こして辺りを見渡すと、形を失ってしまいそうなほどの濃い闇の中、私達三人がいる所だけはスポットライトがあたったかのように明るかった。
「何……?ここはどこなの。」
「私達にもなにがなんだか…。望未がトラックにひかれそうになった瞬間目の前が真っ暗になって、気がついたらここにいたの。」
「俺も奈々子と同じ。……ほんとにここは、何処なんだ……。」
「心配しなくても大丈夫よ。一時的に別の空間に移動させただけだから。」
「!!?」
その声に、三人とも同時に一点の方向を振り向いた。
その声の主は闇の向こう側にいて姿が見えなかったが、こちらに近づいてきているのは分かった。
「こんにちわ。」
闇の中から姿を現したのは上総だった。
「上総……。」
「望未の知り合い…?」
望未は返答に困り口ごもる。
「それより上総、どういうこと? 奈々子や彰斗までこんな所に連れて来て。」
上総はくすりと笑った。
「まあ聞いて。期限は深夜十二時を回るまでだったのだけれど、あなたの中で答えが出たようだから、ゆっくり話ができるようにここへ呼んだの。あなたがこうなったのには、この二人も関係しているでしょう。この際全部話してみたらどう?」
「え──…。」
奈々子達は二人の会話に首をかしげ、奈々子は望未の方を見た。
「望未、どういうことなの? この人は誰?」
そう言いながら上総に目を向ける。
「ああ、ごめんなさい。自己紹介が遅れたわね。私は上総。死んでもなお、現世に強い思いを残し生き続けている者を狩るのが、屍神である私の役目。“人”ではないの。急にこんなことを言われても理解しがたいでしょうけれど、すべて現実。偽りでも夢でもないわ。」
困惑した奈々子と彰斗は望未を見て、望未は二人の目を交互に真っ直ぐ見てうなずいた。
「あの、それでそれと望未になんの関係が……。」
まだうまく飲み込めてない奈々子は上総に聞いた。
上総は無言のまま望未を視線で指す。
「……え…、もしかして……!?」
先に察した彰斗を上総は見て、「そうだ。」と言うように笑みを見せた。
「死に際強い思いを残して死んだために心は肉体を離れず、その心が肉体を動かし生き続けてる者を私達は“思屍人”と呼んでるわ。それが望未よ。あなた達の目の前にいる望未は生きている様だけれど、実際には数日前にもう死んでいるのよ。」
「っっ!!!??……。」
奈々子と彰斗はその事実に言葉を失う。
そしてまだ頭の隅では混乱してた。だってどう見ても望未は普通に生きてるようにしか見えない。
「望未は強い思いを残して死んだために、思屍人になった。その強い思い、奈々子、あなたならもう気づいているでしょう。」
「……あ…!。」
奈々子は望未を見る。
「思屍人になる理由は人それぞれよ。誰かを助けたい気持ちや己自身の欲望とか、ね。望未の“それ”は小さな頃から積もり積もって、それでも隠してきた自分の本心、強い気持ち──…。思屍人は見つけ次第狩るのだけど、でも望未にはまだ生き返れるチャンスがあったから、生き返るための条件を与えたの。」
「…条件?」
「そう。“大切な人を一人殺しなさい”と。」
「なっっ!!?」
二人は目を見開いて絶句する。
しん、と静まり返った中望未は苦々しく笑いながら口を開いた。
「ごめんね奈々子。本当は今日……奈々子を殺すつもりで…呼んだの。でもやっぱり、そんなことできるはずがなくて…。」
望未は辛そうな表情で語った。
そして望未はまぶたを強く閉じ、選んだ道に覚悟を決めると目を開いて彰斗を見た。
「彰斗、私ね、彰斗のことずっと好きだったんだよ。」
「え──……。」
「でもね、私と奈々子と、彰斗と龍司、四人の関係を壊したくなかった。なにより、言ってしまえば奈々子ともう今までのように友達でいられなくなるかもしれないって…。だけど、ちょうど一週間前の彰斗の誕生日にせめてプレゼントだけでも渡したくて、彰斗の家まで行ったの。」
「あ……。」
奈々子は一週間前の記憶を思い起こす。
「うん。奈々子が彰斗に告白した日。偶然、その場面見てしまったの、私…。それでその場にいたくなくて、プレゼント渡さずに来た道を引き返した。……悔しくて、勝手だけど、奈々子のこと憎んだ。でもそんなのはほんの一瞬……。奈々子も私から離れていくんじゃないかって、ただどうしようもないくらいに寂しかった…。」
望未の側にいた奈々子は、望未の手を強く握った。
真夏なのに望未の手は雪の様に冷たかった…。
「あの後…、あてもなく、ただ足が赴く方向に身を任せて歩いていた。苦しくて途中あまり覚えていないんだけど…、気づいたら学校横の川の近くまで来てた。ほら、昔よく遊んだ──…昨日奈々子と二人で話してた場所。……彰斗の誕生日のあの日は雨がすごかったよね…。あの豪雨で川は氾濫してた。ぼんやり川を橋の上から眺めてたら傘が風に飛ばされて、その傘を取ろうとして足を滑らせて…川に落ちて溺れ死んだのよ、私……。」
望未は今に至るまでをすべて話した。
苦しそうに、でもどこか淡々と。
「そん…な……。」
「嘘だろう……?」
表情を曇らせ、否定の言葉を求めるように見つめる二人に、望未はただ「ごめんね。」とだけ言って悲しそうに笑った。
「話したいことはすべて話したかしら?」
上総は三人に割って入るように言い、一歩前に出た。
「それで…望未はどうなるの……。」
その先の答えは想像できたけど、奈々子は今にも目から涙が零れ落ちそうに震えた声で聞いた。
「魂はもう冥界へ逝ってしまっているわ。心も魂のもとへ返してあげないとね。本来魂と心は共にあるべきものなの。まあ、死ぬということよ。死んでいるのだから、こんな言い方も変だけれども。」
「……なんだよそれ…ワケわかんねぇよっっ!!」
「そう…だよっ……急に死んだとか言われて…目の前からいなくなっちゃうなんて……っつ。やめてよっっ、望未いかないでっ、いかないでよっっ!!」
奈々子は望未に縋るように両手で強くしがみつき、大粒の涙を零した。
「どうにか…、ならないんですかっ?!」
「どうにもならないわ。望未が選んだことよ。そもそも人の人生は一度きり。死んだらそれでお仕舞いよ。」
「それは……っ。」
彰斗も泣くのを堪えているかのように、両手を強く握り締めた拳が小刻みに震えていた。
「それで望未、本当にいいのね?」
上総は念を押すように聞いてきた。
「もう決めたの。奈々子達を目の前にそんなこと聞かないで。…ううん、そもそも自分が生き返りたいがために人を殺すとか、殺さないとか、そんな事考える事自体どうかしてた。人を殺めていいはずがあるわけないじゃない。」
「……そう。」
「それは、死ぬのが怖くないって言ったら嘘になるけど…、後悔は残らない。奈々子が“そう簡単に離れていかない”って言ってくれて、嬉しかった。彰斗にもまた会えて良かった…。龍司にも最期に…会いたかったな…。」
いつの間にか両手に大鎌を抱えていた上総が望未の目の前に立った。
「さあ、あなたたち二人は離れていて。」
望未はその鋭利な大鎌を前に、ごくりと唾を飲む。
それを察し、上総は微笑を漏らした。
「そんなに怖がらなくていいわ。痛みは感じないから安心して。」
上総は大鎌を掲げる。
「望未っ!いやっ、待ってっっ!!」
「望未ーーっ!!」
上総が鎌を振り下ろすその刹那、涙を流して腕を伸ばす奈々子と彰斗の姿が見えた───……。
闇が落ちる。
その先があるのか無いのか分からないほどの暗闇。
音も無く温度も無い世界。
その中に紅い光が一点灯った。
それは勢いよく“こちら”に向かってくる。
光…──いえ、あれは真紅の炎の塊の様。
なにも感じられない闇の中、唯一それだけは温度を感じられた。
───…あつい…───。
まぶたの向こうに光を感じ目覚める。
「……ここは…?」
ぼんやりとした視界にまぶたを瞬かせながら目を開くと、横たわった“私”の顔を心配そうに覗きこむ奈々子と彰斗の顔が目に入った。
「えっ……奈々子と彰斗?!」
慌てて体を起こすと、奈々子が嬉しそうに抱きついてきた。
「え、何…どういうことなの……?」
混乱しながら横を振り向くと、そこには上総も立っていた。
ここはさっきまでいた同じ場所だ。
「上総どういうこと…? 私死んだんじゃあ……。」
望未達三人はゆっくり立ち上がりながら上総を見た。
「自分自身の体に何か変化を感じない?」
「そういえば…。なんだろう、失っていたものが戻ってきたような、なんだかすごく満たされた感じ……。……え、もしかして…。」
「ええ。望未、あなたは生き返ったのよ。」
望未は首をかしげる。
「でも私、あなたの言う“生き返るための条件”はできてないけど…。」
「そうね。私が言ったのは、生き返りたくば“大切な人を殺す事”。」
「じゃあ、どうして…」
望未は不思議そうに聞いた。
「もしあなたが、自分が生き返りたいがために誰かを殺すような人間だったならば、私は迷うことなくあなたの心を狩って、冥界へ送ったわ。」
「……!! もしかして私を試したの!?」
「ふふっ。本当の生き返るための条件はね、屍神である私に“認められる事”なのよ。」
望未はそれを聞いて一気に力が抜け、倒れそうになったところを奈々子と彰斗が両脇から支えた。
「良かったね、望未。」
二人は目を赤くしたまま、嬉しそうに笑った。
「それならさっき、そうだと言ってくれれば……。」
「人の考えなんていつ変わるか分からないでしょう。でも、あなたの答えはもう変わらないようだったけどね。」
望未はようやく満面の笑みを浮かべた。その目から涙を零して……。
「望未、寂しさに負けて自分の殻に閉じ篭らないで、顔を上げて周りを見渡してごらんなさい。あなたが思っている以上に、あなたを受け止め、想ってくれる人はいるわ。」
上総がそう言うと、辺りは眩しいくらいの真っ白な光に包まれた。
「一度思屍人になった者は二度と思屍人になることはないわ。後悔のないようにね。」
そう言いながら最後に見た上総は微笑んでいた。
それは今までに見せた冷ややかな笑みじゃなく、日だまりのように暖かな笑みだった───……。
「望未あぶないっっ!!!!」
そう叫んだ奈々子の悲鳴と共に、鼓膜を突き破ってしまいそうなほどの大きなブレーキ音が聞こえた瞬間、横を振り向くと、望未の体を覆ってしまいそうなほどの大型トラックが目と鼻の先で停止していた。
トラックの運転手がブレーキを踏むのが少しでも遅かったら、望未は確実にひかれていただろう。
「あぶ…な……。」
望未は胸に手を当てると、心臓が飛び出しそうなほどバクバクしてた。
横断歩道を引き返すと、トラックの運転手が窓から顔を出して、怒鳴りながらその場を走り去って行った。
「望未ーっ!」
「望未、大丈夫かっ!?」
振り返ると、後ろから店を飛び出した私を奈々子と彰斗が追いかけてきていた。
「望未、大丈夫?」
心配そうに、奈々子が望未の肩に手を当て顔を覗き込んできた。
「う、うん…大丈夫。」
まだバクバクいってる。手のひらも冷や汗で濡れていた。
「まったく。なによ、あのトラックのおっさん!! 自分だって赤信号なってない状態で突っ込んできたくせにっ!!」
奈々子はトラックが去って行った方向を見ながら怒鳴り散らしている。
「望未急に店を飛び出してどうしたんだ?」
彰斗が聞いてきた。
「……えっと…あれ?」
「?……まあ、とにかく無事で良かったよ。はあ〜。心臓が止まるかと思った。」
彰斗は安堵して額に手を当てる。
気がつけば今の出来事に、街の中を行き交う人々が私達をじろじろ見ていた。
「望未、鞄の中身が落ちてるぞ。」
「えっ」
いつの間にか鞄の中から飛び出して落ちていた財布やハンカチなどを彰斗が拾ってくれた。
「あ、鞄が開いていたみたい。」
「ん、なにこれ…?」
そう言いながら彰斗は拾い上げた物の一つを眺め回した。
それは淡いピンクの、細長いキルト生地の袋だった。
「あれ、私これ見た事があるような……。」
奈々子は彰斗の手からそれを取ると、難しい顔をしながら彰斗同様眺め回した。
「あ、それは……だめ。」
望未はなぜだか、その袋の中に他の人に見られてはいけない物を入れていたような気がした。
望未が手を伸ばしかけ開けられるのを止めようとした時、奈々子が声をあげた。
「あっ! これってもしかして小学生の頃に使ってたリコーダーケースじゃない? あ、やっぱり!」
奈々子は袋の口を絞ってる紐をゆるめると、中からリコーダーを引っ張り出した。
「あ、あれ……?」
もっと違う別の物が入っていたような気がしたんだけど……。?…なんで“別の物”が入ってるって思ったんだろう?
望未は首をかしげる。
彰斗と奈々子は同時に視線をリコーダーに移し、顔を上げて二人視線が合うと、奈々子が「プっ。」と息を噴出し声をあげて笑った。
「やだ望未、なんでこんな物持ち歩いてるの!? 信じらんない! あははははっ。」
奈々子につられて彰斗も口に手を当て、必死に笑いを堪えてる。
「え…な、なんで私リコーダー鞄の中に入れてるんだろ…。」
望未は顔を真っ赤にしてうつむいた。
そんなやり取りをしてると、雑踏の中から私達三人を呼ぶ声が聞こえてきた。
「龍司!」
望未はうつむいていた顔をあげる。
「あれ、龍司。なんでここに。」
奈々子が笑って涙目になった目を指で擦りながら聞いた。
「今さっきまで向かいの建物の二階の店にいたんだけどさ、そしたら偶然お前達三人見かけて、望未がトラックにひかれそうになってるだろ。焦ったよ。それで慌てて駆けつけたんだけど……。」
龍司は望未を見る。
「私なら大丈夫。ありがとう。」
「そっか。」
そう言うと、ほっとしたような表情を見せた。
「ん? 彰斗その格好……バイト先から抜け出してきたのか?」
「あっ!……俺仕事放り出したままだったっけ…。早く戻らないと。」
「そういえば私と望未お昼まだだったもんね…。よし、食べに行こうか!」
「うん。」
「あ、じゃあ俺も!」
そうして四人、彰斗のバイト先のファミレスに向かう途中、望未は龍司の横に並んで話した。
「龍司、この前母さんとちゃんと話し合ったほうがいいって、言ってたじゃない? 私…話してみるよ。」
「望未…。」
「母さんを許せるようになるまでまだまだ時間はかかりそうだけどさ、ずっと今のままの状態じゃダメだって分かってるし……。」
「うん。」
それだけ言って龍司は優しい笑みを見せた。
「でも良かったよ。この前街の中で会った時何かに悩んでたっていうか、すごく思いつめたみたいな顔してたからさ。けど今は、すっきりした顔してる。」
「? そう…? ……そんな思いつめた顔してたかな。私、何か悩んでいたっけ…?」
「ええ? なにそれっ。俺もの凄く心配してたんだぜ。」
「え、と。ごめんね?」
「ん、いや、まあ、望未がなんでもないって言うならいいけど。」
龍司は少しはにかんで言った。
「ねえ、私さっきから何か忘れているような気がするんだよね。」
唐突に、前を歩いていた奈々子が何かを思い出そうとしながら言った。
「俺も。何か忘れている気がするんだけど……」
横に並んで歩いていた彰斗も奈々子に続きそう言った。
「どうしたんだ、二人とも。」
奈々子達の後ろから龍司が聞く。
「……実は、私も…。何か大事な事を忘れているような……。」
「ええ!? 望未まで? なんなんだよ、三人して。俺だけ仲間外れ?」
「いや、そういう問題じゃないと思う。」
奈々子が前からツッコんだ。
「でも“誰”かの言葉は覚えてる…“誰”…?」
望未は軽く首をかしげる。
「何なんだろう……?」
「?う〜ん…」
頭をひねりながら彰斗と奈々子は考えている。
「……望未?」
龍司はいつの間にか後ろを振り返って立ち止まっている望未に気づく。
「どうかした?」
「……ううん、なんでもない。行こう。」
チリリン チリリン
多くの人が入り混じる雑踏の中、やわらかな鈴の音と共に
誰かがこちらを見て笑っているような気がした。
望未は空を仰ぐ
体に感じる日の光と 眩しい青い空
今あたりまえのように傍にいてくれる人達
それがなんだかとても懐かしく愛しい
心の底から沸き出でるように、そう想えた───……。

第一幕/完