【 第ニ幕 〜見送る魂〜 】 第一話





新しい始まりの月を迎える手前の三月末。
風はまだ冷たかったが、暖かな陽の光を浴びながら桃色に色付いた桜の樹々は、確実に春の匂いを運んできていた。
そんな穏やかで華やかな京都の風景を、上空から見渡すように上総は眺めていた。
「京都は紅葉の季節が好きだけれども、桜で賑わう京都も悪くないわね。……さて、近くに思屍人の気配が感じられるんだけれど……ん…?」
上総は思屍人とは別に、背後に馴染みのある気配が近づいてくるのを感じて、ゆっくり振り返った。
その目先のなにもない空間が水面を打ったように歪み、そこから黒く長い髪で歳十かそこらの姿をした少年が現れた。
「よっ!上総、久しぶりだな。」
少年はニッと無邪気な笑顔を向ける。
「……なんだ。クロガネ(鐵)か。」
「あいさつしてるのに“なんだ”って……ヒドイな。と言うか、京都なんだから俺がいて当たり前だろう。それ分かっててわざと言ったなお前。」
「さあね。」
「…相変わらずと言うか、なんと言うか。」
クロガネという名の少年は“やれやれ”というような身振りで言った。

彼、クロガネは死神である。
そう、たいていの者が耳にしたことがあるであろう、人間に死をもたらすという死神だ。
死神は想像上の存在とされているが実在するのである。私、屍神が存在するように。
死神は皆、白い衣に身を包み、47都道府県を47人の死神がそれぞれ担当している。クロガネはここ、京都の担当なのだ。
クロガネのことについては私もあまり詳しく知らないのだけれど、外見は私より下の年齢に見えるが47人の死神の中では一番年長らしい。
死神の中では屍神という私の存在を嫌っている者もいるというのに、最初出会った時、まるで昔からの友人のような口ぶりで私に話し掛けてきたのだ。
ただ一人である屍神という存在に興味をもったのか、覚えてはないけどかつては人間であった私に興味をもったのかは、分からないけれど。
「ところで上総、お前がいるってことは、この近くに思屍人がいるんだろう?」
「ええ、おそらくね。死神のように“死気”とかいう死が近い者から発せられるオーラのようなものは、思屍人には見られないから断定できないけれど。」
「そうか。」
「ところでクロガネは何してるの。暇そうに見えるけど。」
「暇そうって……あのなあ、俺だって一応死神としての務めがあるんだぞ。」
「それより東京、千葉、埼玉担当の死神馬鹿三人組をどうにかしてちょうだい。クロガネ死神の中では一番年長なんでしょう。あの三人、嫌うのは勝手だけど、私と会うとなにかと嫌味言ってくるのよ。」
「あー…あいつらな。どうにかって言われても、あいつら俺も嫌ってるっぽいもんなあ。」
「そうなの? あの三人が私と人間をすごく嫌ってるのは知ってるけれど。何かしたんじゃないの。」
「いや、別に直接俺はあいつらに何もしてないけどな。まあ、いろいろとな。」
「…? ふうん。役立たずね。」
「さっきからヒドイなお前…。」
「いつもの事でしょう。」
「んっ、まあ、そだな。」
そう言ってクロガネは笑った。
「? 変な人ね。ひどいのがいつもの事って言ってるのに。」
「あはは。ほんとに相変わらずだなってことだよ。」
「あなたもね。その脳天気そうで間抜けな顔は相変わらずだわ。」
「おいっ。」
表情がころころ変わるクロガネに対し、上総は涼しげな顔で言った。
「さて、そろそろ行かなくちゃ。」
「だな。俺も死気の感じる方に向かってる途中だったし。」
先に上総が思屍人の気配をたどり、その方向へ動きだした。 だが、後ろから一緒について来る者に気付いて振り返る。
「ちょっとクロガネ、いつまでついて来るつもり?」
「いや…俺もこの方向なんだけど。」
「へえ…そう…。」
「えっ何、その“本当なの”的な疑いの眼は。お前俺を何だと思ってんの。」
「さあ。」
「さあ、って。」
「まあいいわ。早く行きましょう。」
上総とクロガネは、自らの務めを果たすべく、再び動きだした。




京都の観光名所の一つとして知られる教王護国寺(東寺)。
そこから少し離れた所に、大きな総合病院があった。
その一階の待合い室を通り抜けて、外の空気を吸いに出てきた一人の男の姿があった。
清潔感のある白いシャツに、グレーのネクタイとズボン。細い銀縁の眼鏡をかけた、スラリとした体形。
その男はため息を吐くと、
「うまくいかないな。」
と愚痴をこぼした。
近くの自動販売機で缶コーヒーを買って、病院の前の通り沿いで飲んでいると、目の前を横切った二人の少女のうち、手前の少女の鞄が男に軽くぶつかった。それに気付いた少女はあわてて謝る。
「あっ、すみませんっ!」
「いや、大丈夫だよ。それより何か落ちたけど。」
そう言って男は地面に落ちた黒いケースを拾い上げて、少女に差し出した。
「カメラ、かな?」
「うっわ、どうしよう。壊れてないかな…。」
少女は中身を確認すると、ほっと肩をなで下ろした。
「よかった、大丈夫みたい。ありがとうございます。」
そう言われて男は軽く笑みをみせた。
「観光かい?」
「はい。大学受験に合格したんで、そのお祝いってことで皆でぱぁ〜っと行こう、ってことになって。」
「はは、楽しんでおいで。」
「はい! それじゃ望未行こう。彰斗たち向こうで待ってるよ。」
その少女は隣にいるもう一人の少女にそう言って、楽しそうにその場から去っていった。
男は缶コーヒーを一口飲むと、また一つため息を吐いた。
「旅行、か…。」




「どうやら私達、場所も同じのようね。」
「みたいだな。」
上総とクロガネは、白い大きな建物の前に来ていた。
病院だ。
二人は病院の窓際に近づくと、クロガネはきょろきょろと辺りを見渡す。
「いくつか死気を感じるな…。でも一番死期が近いのはあの子だな。」
そう言ってクロガネは、三階の窓から見える5、6歳くらいの少女を見た。
「まだ幼いな…。」
「…そうね。」
「…ところで、上総お前は?」
「思屍人は──…。」
上総は思屍人の気配を探り出す。正確には、魂の離れた心の気配を。
その途中、クロガネが捜していた少女の病室に、医者と看護婦が入ってきた。
「ん、あの男は…」
クロガネは、医者の男に目を見開いて驚いた。
「!…あの眼鏡かけた医者、あの男が思屍人だわ。」
「…やっぱりか。」
「“やっぱり”ってことは、覚えていたのね。」
「ああ。五日ほど前に魂を狩った男だ。だが思屍人になったんだな…。俺達じゃ、魂狩った直後にその人間が思屍人になるのかならないのか、すぐには分からないからな。」
「それじゃあ私は、あの男に会ってくるわ。」
「あ、今回俺も途中までついて行っていいか?」
「どうして。」
「たんなる好奇心さ。」
「ふうん…別にかまわないけれど、本当に途中までよ。邪魔だから。」
「キツっ。」
上総とクロガネは思屍人の男に会うために、病院内へと入っていった。




男は病院内の研究室で、医学書やあらゆる医学に関する資料を取出して、熱心に何かを調べていた。
だがいくら調べても思うようなものは何一つ見当たらず、手を額に当てた。
「くそっ。」
と眉間にしわを寄せながら吐き捨てると、男はかけていた眼鏡をはずして、椅子にもたれかかった。
そして男がため息を吐くのと同時に、自分以外の人間はいないはずの研究室内に、どこからか声が聞こえてきた。
「こんにちは。」
振り返るとそこには黒い着物に身を包んだ少女の姿があった。 少女は軽く微笑む。
「!?……君は誰だ…? …ここは関係者以外は立ち入り禁止のはずだが。」
「私は屍の神、屍神。上総よ、初めまして。」
「屍…神…?」
「死してもなお、強い想いを抱き続け現世に留まる死者を、思屍人と言うわ。私はそれを狩る者。そしてあなたはその思屍人よ。あなたはもう死んでいるの。」
「死者…?…思屍人……?」
男は意表をつかれたかのような表情をみせると、苦笑した。
「くくっ、なるほど、そういうことか……。」
「“なるほど”?……驚かないの?」
「いや、驚いているさ。僕はこれでも医者だからね。自分の身体の異変にはすぐに気付いたよ。不安を感じて自分の身体を調べてみたが、心臓は止まってるし息もしてない。他の内蔵器官もほとんど活動していない。五感は感じられるけど、前より鈍くなっている。最初は驚きよりも疑いの方が大きかったな。まさか…ってね。でもそれを誰かに言えるわけがない。むしろ君が来てくれて今ほっとしているよ。」
「どうして?」
「こんな身体で生き続けることの方がよっぽど恐ろしいからね。」
「くすっ。それもそうね。」
「それにしても屍神、ね。この分じゃ死神がいてもおかしくないな。」
「ふふっ、いるわよ。」
「!!……くくっ、そうか…」
それを聞いて、男はまた苦笑した。
「30年以上生きてきて、それなりに世の中の事分かったつもりでいたけど、まだまだ分からないことや知らないことが多そうだな。」
「それはそうよ。私にだって分からないことはまだあるんだもの、…白波瀬(シラハセ)さん?」
上総は男の白衣の左胸に付いているネームプレートを見た。
「白波瀬 辰弥(タツミ)だ。」
「辰弥さん、ね。」
「…でも僕が死んだというのは、にわかには信じ難いな。確かに身体は死んでいると言ってもいいが、僕には死んだ覚えなどない。」
「思屍人は最初皆そう言うわ。私が思いださせてあげる。」
上総がそう言うと、どこからどもなく聞こえてきた鈴の音が辰弥の頭を刺激した。
「っ痛!!」
「どう…?」
「……ああ…そう、そうだった…。夜遅く、ここから家に帰る途中のあの事故の時に…死んでいたのか……。」
「………。」
辰弥は自分が死んでいたという事実を知っても、それほど動揺した様子を見せなかった。 そんな辰弥を上総はじっと見つめる。
「…あなた、めずらしい人ね。さっき私があなたの前に現れた時もそうだけど、私が言うことも自分自身のことも、すんなり受け入れてるみたい。たいてい皆最初は否定するものだけど。」
「…そうだね。本来ならもっと驚いて否定するとこなのかもしれない。でも僕は今、そういう“普通でないもの”に縋りたい気分なのかも……。」
「思屍人の記憶を思い出させる時、動揺してる人ほどその人の記憶が私にも流れ込んでくるのだけど、あなたは冷静だったから、あまり記憶を読み取れなかったわ。……あなたの強い想い、望みは何?」
上総がそう聞くと、辰弥はシャツの胸ポケットから一枚の写真を取り出した。
「これ、僕の娘なんだ。今年で6歳になる。」
そこには白いワンピースを着た少女が、笑顔で写っていた。
「この子……。」
上総はその少女に見覚えがあった。クロガネが死期が近いと言っていた、病室にいた少女だ。
「鉗音(ツグネ)って言うんだけどね。娘は元々体が弱い方だったけど、ウイルス感染による肺の病気でね、人工呼吸器をつけてないとうまく呼吸ができない状態で、……難病なんだ。とても死亡率の高い、ね…。抗生物質を打ってるものの、あくまでウイルスの増殖を制御するだけのもので治す力はない。肺移植の有用性が検討されてはいるが、そう簡単なものでもないし、すぐに肺の提供者が見つかるわけでもない。だから僕は、独自で他に治療方法はないものかここ何ヶ月かずっと、調べていたんだ。」
「それで、あなたの“強い想い”は娘を助けたいということ? 治せる可能性はあるの?」
「……わからない。正直、可能性は限りなく低い。でも可能性が少しでもあるのなら、そこから治す方法を見つけ出したい。どんなことをしてでも助けたいんだ。だから、今君に狩られるわけにはいかないんだよ。」
「そうは言っても、私はいつまでも待ってられないわ。でも、あなたにはまだ時間が残されているから───…。」
そう続きを言いかけた時、研究室のドアをノックする音が聞こえてきた。
「白波瀬先生、いますか?」
ドアの向こう側から確認する声に、辰弥は上総を見た。
「大丈夫。今私はあなた以外に見えていないわ。」
辰弥はそれに頷いて、ドアの外に向かって「どうぞ。」と返事をした。
「あ、白波瀬先生、207号室の衣井さんがお昼過ぎから高熱だしてるようなので診てもらっていいですか。」
「ああ、分かった。すぐ行くよ。」
それを聞くと、看護婦は軽くお辞儀をして、研究室を後にした。
「そういうことだから、続きはまた後でいいかな。」
「ええ。」
辰弥は出していた資料等を急いで片付けると、はずしていた眼鏡を付け直して、患者のもとへ駆けつけていった。

「……ということらしいわ。」
辰弥には見えていなかったが、ずっと側にいたクロガネに上総は口を開いた。
「まさかあの娘の父親だったとはな…。…それで上総、あの男をお前はどうするつもりなんだ。」
上総は少し考え込むと、クロガネを見た。
「……クロガネ、あの子、鉗音の寿命はあと何日くらい?」
「あと二日、明後日だな。……ってことは。」
「ええ……。時間はどれくらい持ちそう?」
「…持って午後六時、ってところか。」
「そう…。」
「酷だな…。」
「でもこの事実は、誰にも変えられないわ。」

クロガネは一通り辰弥の事を知ると
「また“その時”になったらここに戻ってくる。」
と言い残して、研究室から姿を消した。
「さて……。」
上総はまだ伝えてないことを伝えるべく、辰弥のもとへと向かう──……。



「山下君、衣井さんに点滴を。」
「はい。」
辰弥は患者を診ると、横にいる看護婦に指示を出した。
「手術したばかりなので、それによる発熱ですね。大丈夫です。すぐに熱も引きますよ。」
少しして点滴の準備をして戻ってきた看護婦を確認すると、辰弥は病室を後にしようと背を向けた。
「あ、白波瀬先生、さっき野々口さんが探してましたよ。」
それを聞いて辰弥は「わかった。」と返事をし、病室から廊下へと出る。
するとすぐそこには、黒い着物の少女が辰弥を待ち受けていた。
「ちょっといいかしら。」
「ああ…。」
二人はあまり人の寄り付かない屋上へと場所を移動した。




晴天の下、屋上を吹き抜ける風は少し荒い。
辰弥はフェンスの近くから周りの景色を見渡すと、上総を振り返った。
「手短に頼むよ。次の患者が待ってるんだ。」
「ええ、そのつもり。まだあなたには重要なこと伝えてなかったから。」
「重要なこと……?」
「その話の前に一つ聞いておくわ。」
「?……なんだい。」
「もし、あなたが考えられる限りの方法の中で、すぐ鉗音を助けられる方法があるとしたら、それがとても可能性の低い、とても残酷な方法でも、鉗音を助けたいと思う?」
「……その“残酷な方法”の内容にもよるけど、わずかでも可能性があるのなら考慮するに越した事はないと思うけど。」
「そう。」
「………?」
「…そしてここからが本題よ。思屍人はね、生き返ることが可能なの。」
「…いき…かえる…? 本当に…?」
それを聞いて辰弥の表情には緊張が見られた。
「ええ。でもそれには条件が二つあるわ。まず一つ目は、死んだ翌日から数えて七日以内であること。あなたは今日で五日目だから、それは問題ないわ。そして二つ目───……」
「…………。」
辰弥は唾をごくりと飲んむ。
ひと息置くと、上総は真っ直ぐ辰弥を見て口を開いた。
「…明後日の午後六時まで、鉗音の最期を見送りなさい。」
その瞬間、辰弥は上総が何を言ったのか理解できなかった。
「は……? 最…期………?」
「そう、最期。明後日は鉗音の命日となるわ。」
「……ちょっ…はははっ、冗談だろうっ?! 」
最愛の娘が明後日には死んでしまうという言葉を突きつけられ、動揺しながら顔を引きつらせる辰弥に、上総は表情一つ動かさずその口から残酷な言葉を繰り返す。
「私が冗談を言うように見える? 信じたくなければそれでもいいけど、明後日には鉗音が死んでしまうのは事実よ。」
「…そんな…そんなわけないっ……鉗音が明後日には死ぬだって?!……っいい加減にしてくれっっ!!!」
「あなた自分のことだと受け入れるのに、鉗音のことだと否定するのね。…まあ、そういうものなんでしょうけれど。でも何度も言うようだけど事実は事実よ。死神に聞いたんだもの。」
「っ死……神………」
「そう死神。」
辰弥は“絶対的な死”を象徴する死神を思い浮かべ、がくっと膝を突いた。
「そんな……そんな……っ じゃあ今までの研究はなんだったんだっっ!! 僕は…僕はいったい何のためにっ」
「…………。」
「それに僕は…鉗音を助けたくてこんな体になってまで生き続けてるというのに……っ鉗音がいなくなってどうやって生きていけと?! 生き返る理由なんか……っ」
「さあ。それはあなたが考えることでしょう。」
「……くくくっ……君は、残酷だな……」
「…そうね。でも私は私の役目をまっとうするだけよ。いいこと? ちゃんと鉗音の最期を見送るのよ。」
「………………っ」
「限りある時間を大切にしなさい。」
そう言い残し、放心状態の辰弥と上総はいったん別れた。
そして遥か上空から上総は病院を見下ろす。
「あの人、“残酷な方法”の糸口に気づくかしら。……まあ、気づかない方が良いんだけれど───……。」

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