【 第ニ幕 〜見送る魂〜 】 最終話
「あいつ、なにを隠しているんだ…。」
矢野は、非常口の外に設けられた喫煙所でタバコを吹かしながら呟いた。
一昨日はあえて辰弥に問い詰めなかったが、最近の辰弥の様子といい、急に休みをとったことといい、ずっと気になっていたのだ。
「…鉗音ちゃんのことに関係あるのか?」
そう呟いて眉間にしわを寄せる。
鉗音の病気は今のところ現状維持しているが、いつ悪化してもおかしくない病気だ。
「………。」
矢野は灰皿にタバコを擦りつけると、袖をめくり時計を確認した。
「昨日は休む暇もなくて聴きそびれたが、とりあえず一度問い詰めてみるか。」
そう言って矢野は喫煙所を後にした。
矢野が鉗音の病室の近くまで来ると、春らしい淡いピンクの花柄ワンピースに白のカーディガンを羽織った少女が、病室の前でドアの方をじっと見つめながら立っていた。
「鍵はかかってないから入れるよ。」
と矢野は少女に声をかける。
「あら、こんにちわ…矢野先生?」
「ん、ああ…ネームプレートを見たのか。どうも。鉗音ちゃんのお見舞い?」
「ええ、まあ、そんなところね。」
返事をかえすと、少女は軽く笑みを浮かべた。
どことなく不思議な雰囲気をもった娘(こ)だな、と矢野は思う。
表情や声、口調はやんわりと穏やかな感じだが、全身に人を寄せ付けないような雰囲気を身にまとっているようだった。
「どうした、入らないのかい?」
少女は廊下の隅のソファーに腰掛ける。
「その前に、白波瀬先生に会っておこうかと思って。」
「今日あいつ休みだから、朝から鉗音ちゃんの傍に付きっきりなはずだが。」
「今はいないみたい。」
「そうか…。」
そう言い、矢野は頭をポリポリ掻いた。
(今いないのか。すぐ戻ってくるかね、あいつ。…また昼前に様子見にくるか。)
と思った時、少女は呼び止めるように話しかけた。
「誰かを心配しているの?」
その言葉にまるで今ここにいる状況を見透かされたようだと思った。
「…どうしてそう思った?」
「なんとなく、カンよ。」
「へえ。俺は言いたいことハッキリ言うわりには、何考えてるか分からないってよく言われるんだがね。」
「あら、そうなの? まあ、“長年の経験”ってやつかしら。」
「キミ高校生くらいにしか見えないけど?」
矢野は少し呆れているようだったが、そんな矢野を見て少女は小さく笑った。
「…もうすぐ白波瀬先生くるわね。」
「それも“長年の経験”ってやつか?」
矢野は冗談めいた口調で言った。
「ふふっ、そういうことにしておいて。────…ほらきた。」
少女が振り向いた先を見ると、廊下の角から辰弥が姿を現した。
そしてこちら側の視線に気づいた辰弥は一瞬驚いたかのように立ち止まり、ゆっくりと確認するように近づいてきた。
「本当にきたな。」
「でしょう。」
少女はいたずらっぽく返した。
目の前まで辰弥が来ると、なにやら少女を怪訝そうな目で見ていた。
「おい、どうした。」
矢野が聞くも、辰弥は同じ顔でじっと少女を見ている。
「上総…なぜ君が矢野と一緒に…?それにその格好はいったい…。」
「この子、鉗音ちゃんの見舞いに来たようだが、おまえの知り合いだろ? おまえにも用があるようだし。」
「ああ……、知り合いだが、いったい何の用だ…?」
恐る恐る辰弥は聞いた。
「用ってほどのことじゃないわ。ちょっと顔を見に来ただけよ。あとは鉗音ちゃんのお見舞いにね。」
上総はソファーから立ちあがると、鉗音のいる病室へ入っていった。
「矢野、いったい彼女と何を話していたんだ?」
「いや、別にたいしたことは話してないが…?」
「そう…。」
辰弥の表情は相変わらず暗いが、何かを決心したかのような、妙にすっきりしているように感じた。
しかし、今までに見たことのない辰弥の表情に、矢野はそこから湧きあがるような不安感を抱いた。それが聞きたかったことを後押しする。
「……なあ、やっぱりおまえ変だぞ。何か隠しているようだが、どうしても言えない事情でもあるのか? おまえのことだから、鉗音ちゃんのことに何か関係あるんじゃないかと思ったんだが…。」
訝しげに見る矢野に、辰弥はにっこりと微笑む。
「なにも隠してなんかないよ。」
そう言い切った辰弥の表情は、一瞬、善悪も判らないうんと幼い子供のように見えた。それに矢野は背筋がヒンヤリとしたものを感じずにはいられなかった。
「こんにちは、鉗音ちゃん。」
笑顔を浮かべながら鉗音の顔を覗き込んできた見知らぬ少女に、鉗音はきょとんとした表情でベッドから見上げた。
「おねえさん…だれ?」
「私は上総。あなたのお父さんのお友達よ。」
「パパの?」
「そう。だから、鉗音ちゃんとも仲良くしたいわ。いいかしら?」
「もちろん。」
その声は弱々しかったが、とてもうれしそうに返事をした。
それを聞いて、上総はベッドの横の椅子に腰を下ろした。
「鉗音ちゃんのお父さんは今日もお休みをもらっているのよね?」
「うん。だからパパずっと一緒にいてくれるの。」
「そう、よかったわね。」
鉗音は嬉しそうに笑ったが、ふと、少し悲しそうな顔をした。
「でもパパ、お顔の色もよくなくて、すごくつかれているみたい…。」
そう言いながら窓の外に目を向けた。
(…いけない人ね。病気の娘に心配かけさせるなんて。)
上総は鉗音の白い横顔に目を向けた。
その横顔を見てこの先のことを思えば、少し切ない気持になった。
(……ふっ。人の死にはもう慣れたと思っていたけど、まだ私にもこんな気持ちが少し残っていたのね。)
自嘲気味に小さく笑うと顔をあげた。
その時外から少し冷たい風が病室に流れ込んできた。
「…風、冷たくない? 窓閉めましょうか?」
「ううん、いいの。もう少しだけこのままにしておいて。」
「わかったわ…。」
「あ、ねえ。」
「なあに?」
「つぐね昨日一瞬だけど、すごく大きな白い鳥さん見たのよ。」
「大きな鳥…?」
「うん。なんていう鳥かなあ? 遠かったけどたぶん、つぐねよりも大きかったと思うの。…いいなぁ。あんなふうに飛べたらいいのに。」
(白い大きな鳥、ねえ…。まさかクロガネ…?)
その時、病室のドアが静かに開いた。
上総は振り向いて病室に入ってきた人物に目をとめる。
「あら、辰弥さん。矢野先生は?」
「あいつなら仕事に戻ったよ。」
「そう。それじゃあ私はそろそろお暇するわ。」
そう言いながら椅子から立ち上がった。
「おねえさん、もう行っちゃうの? またくる?」
鉗音は寂しそうな顔を上総に向けた。
「──…ええ、かならず。」
その言葉に鉗音は弱々しく笑ったが、辰弥は含みを感じていた。
「………。」
「それじゃあ辰弥さん、また夕方に。」
「……ああ。」
返事を返した辰弥は、空虚な瞳を上総に向けた。
そんな辰弥を見て上総はクスリと笑うと、病室を後にした。
「…さて、いよいよ危うい感じになってきたわね。最後まで見極めなくちゃ──…。」
「今日が7日目か…。」
クロガネは上空から地上を見下ろした。
(あの少女の死気もだいぶ強くなってきているな…。問題の思屍人の方はどうなっているのか、だな。)
そう思った時、その問いを答えてくれるであろう者の気が近づき現れた。
「よっ、上総。」
クロガネは右手を軽く上げあいさつする。
「やっぱり来ていたのね。」
「ああ。まあ、近くまで来たついでにな。ところでそっちはどうなっているんだ。」
「何事もなくそのまま条件クリアするかと思っていたけど、どうもそうもいかなくなりそうな感じよ。」
「……そっか。」
クロガネは眉をひそませた。
「ところであなた、昨日鉗音の病室近くまで来た?」
「ん、ああ、来たけど…?」
「鉗音に見られていたようよ。一瞬だけ“白い大きな鳥”を見たって言っていたけども、遠目で見たようだからきっと鳥と勘違いしたのね。」
「鳥、か…。」
「なに、どうかした?」
いや、と言って腰にあてたいた手を組んで説明する。
「まれに死期が近い者で、死神の姿が見える人間がいるが鉗音もそれだな。どうやら目に映る姿は人それぞれ違うらしいんだが。」
「へえ、そうなの。」
「ああ。動物だったり、家族だったり、鬼のように恐ろしい姿に見えていた人間もいたらしい。魂狩る直前以外、死神本来の姿が人の目に映るのはごくわずかみたいだ。」
「…ふうん。あなた達に映すその姿はどこからくるのかしらね。」
「死に対するその人の心、かな。」
「なるほど。」
午後、病室で辰弥は不安と焦燥に身を駆られながら鉗音を看病していた。
一秒ごとに刻む病室の掛け時計の秒針が耳障りなほどに厭わしく聞こえた。
まるで鉗音の命を少しずつなぶるように削ぎ落としているかの様だと思う。
だがそんな気持ちを悟らせないよう、鉗音に話しかけて思考を必死で切り替えようとした。
「鉗音、もし病院を退院したらなにかしたいことはある?」
「ん?…ん…と、パパとママとヒコーキに乗りたいなあ。そしてね、ママのおべんとうをもってピクニックするの。」
「はは、飛行機に乗ってピクニックしに行くのか。」
「うん。…でも、つぐねも早く元気になっておそとに出たいけど、パパも元気になってほしいな。」
「え…。」
「パパ、つかれているみたいなんだもん。パパが元気になれないとつぐねも元気になれないよ。」
「ああ…、そうだな。心配かけてごめんな鉗音。急にお休みとったから、仕事の疲れが一気に出ちゃったのかな。今日の夜はゆっくり休むよ。」
そう可も不可もない軽く取り繕った嘘に鉗音は「うん。」と笑いながら小さく頷くと、その直後、顔を歪めて苦しそうに咳をした。
「鉗音っ!?」
辰弥は慌てて立ち上がり、鉗音の頬に手を当てた。
「ゴホっ…コホっ…ん………。」
咳はすぐ治まったが、その衝動で呼吸が少し荒くなった。鉗音はおのずとゆっくり大きく呼吸をして、息を整えると、辰弥は鉗音の瞳に溜まった涙をやさしく指でぬぐった。
「鉗音、大丈夫か?」
「うん、だいじうょぶ。」
そう返した声は、いつも以上に弱々しかった。
徐々に日が落ちてきて、差し込む夕日の光が部屋を朱色に染め始めた。
鉗音は苦しそうに咳をした後は、他に体調に変化はみられなかったが、少し疲れたようで今は静かに眠っている。
「………。」
辰弥は鉗音の頭をなでると、病室の時計を確認した。
「あと、30分……。」
鉗音に残された30分の命…。
秒針の刻む音を重ねるごとに、緊張と焦り、恐怖が全身を襲い、身体が強張ってきているのがわかった。
それでも、上総の条件を破り自分自身は生き返れずとも、もし鉗音に恨まれることがあろうとも、鉗音が助かる可能性があるのなら、それがたとえ一縷の望みでも捨て去ることはできなかった。
その望みが“殺人”という行為で得るものだとしても…。
鉗音を救いたいという辰弥の強い思いに、狂気の色が確実に滲んでいく──…。
「もうそろそろ、かな。」
クロガネは背後に沈む夕日を振り返った。
「…………。」
なぜか今日はやたらある人のことを思い出す。遠い昔に出会った人間の少女のことを。
「ああ、そうか…。」
と、クロガネがぽつりと呟く。
鉗音の姿は、少しだけ…ほんの少しだけその少女に似ているのだ。
あれから長い年月が流れた。
彼女の魂は再びこの世に生まれおちただろうか?
もしそうであれば幸せな人生を送っているといいなと思う。
「……さあて、上総も思屍人の側についてるだろうし、俺も行かないと。」
病院の近くまで来ると、病院の道沿いに止まったタクシーが目に入った。
タクシーのドアが開くと、そこから一人の女性が片手に紙袋を持って出てきた。
(ん…あれって、昨日鉗音の病室に来てた人、だよな。確か母親だっけ…。)
クロガネは鉗音と辰弥に思考を移す。
「まずい、かな…?」
急いでクロガネは病室へ向かった。
午後6時5分前。
病室内は電気をつけておらず、薄暗くなってきていた。
時間の経過と共に辰弥の表情にも影が濃く落ち、それによりその影は、普段の辰弥を知る者ならば不安を掻き立てられるような表情をつくっていた。
「鉗音…。今から僕は君に酷いことをする。恨んでくれたってかまわない。……ごめんな鉗音。こんな父親で…。」
抑揚のない声で鉗音の寝顔に話しかけると、人工呼吸器の裏に付いているスイッチに手を伸ばす。
人差し指をスイッチに添えると同時に、その手は小刻みに酷く震えていた。
「………っ。」
(早く…っ、早くこのスイッチをきるんだ──…っ。もう時間がないっ…!!!)
時計の秒針が辰弥を崖の淵へ追いやるような感覚に襲わせ、手の震えは膝にも伝染した。
その時、ベッドに眠る鉗音のまぶたが薄っすら開いた。
「……パパ…?」
「……っ!!」
その声にびくっと身体を震わせたと同時に“カチッ”と音がしたのを頭の隅で捉えた。
とっさにスイッチにあてていた指に視線を移すと電源がオフになっているのに気付いた。
「───!!!」
「うっ…くる…しいっっ。」
「あ……あっ………鉗音っ、鉗音っ──…っ!!!」
辰弥は人工呼吸器の電源を入れなおすどころか、スイッチから手を遠ざけた。
「…これしか……方法ががなかったんだ。」
震える声でそう言う辰弥の傍で、鉗音はどんどん苦しそうに顔を歪める。
「…パパっ…パ…ぱっ……うっ、ぐっ……っ。」
呼吸ができず、鉗音は細い首筋に両手をあて暴れだし、うめき声をあげた。
「あ゛っ……う゛ぅ…った…たすっ…ぅう゛っ……。」
辰弥は最愛の娘が苦しみ悶えている姿に顔を歪め、両手で強く頭を抱えた。
「…う゛ぅっ、やっぱり……僕にはできないっっ!!!!」
そう叫ぶと、人工呼吸器の電源を震える手で素早く入れた。
「つぐねっ、鉗音っ!!」
辰弥は鉗音の名を呼んで意識を確認した。それに答えるかのように鉗音が瞬きをすると目に溜まっていた涙がこぼれ落ち、まだ苦しそうだが呼吸をしているのを確認した。
と、その時、黒の着物姿で上総がすっと姿を現した。
「…辰弥さん、私が出した条件を破ってしまったわね…。条件は“鉗音の最期を見送ること”。でも鉗音がそのまま死んでいくことに耐えられないあなたは、鉗音が思屍人になれば、という考えに至った。もしそうなれば生き返る可能性があるものね。でも病死の者は思屍人にはならない。だから病死で死ぬ前に鉗音を自らの手に掛けようと思った。そうよね?」
上総の言葉に辰弥は目を伏せた。
「辰弥さん、否定しないということは認める、ということでいいのね?」
「…………。」
「…そう。──…クロガネ。」
上総がその名を呼ぶと、小柄な姿には不釣り合いな漆黒の大鎌をかかえたクロガネが現れた。
それと同時に鉗音が再び苦しみだす。胸を強く握るように痛みを訴えだした。
「っ鉗音!?」
「ぱぱっ…いたいよっ…たすっ……けて──…っ。」
もともと小さく弱々しい声がさらにか細くなる。
「鉗音っっ!!!!!」
時計を見ると針は6時を指していた。
「上総っ、鉗音は…っ!?」
辰弥は必死な形相を上総に向ける。
それに対し、いつもと変わらない落ち着いた態度で、クロガネに辰弥が聞きたいことを聞き返した。
クロガネの姿が見えない辰弥は上総が目を向けた先に何も見えず、何も聞こえなかったが、“何か”がいるのは分かった。
おそらくそれが上総が言っていた死神であろうことも。
苦しむ鉗音を見て眉をひそませながら、クロガネは鉗音の側に歩み寄った。
「放っておけばあと数分はもつだろうが、このまま苦しませるのは可哀想だ。魂、狩らせてもらうぞ。」
「……そう。辰弥さん、残念だけど鉗音はもうもたないそうよ。」
「!?そんなっ…ちょっとまってくれっ!!」
そう言う辰弥をよそに、クロガネは鎌を構えた。
「おにい…ちゃ…だ……れ…?」
「すぐ楽にしてやるからな。」
悲しそうな笑みを浮かべると、次の瞬間鉗音にめがけて鎌を振り落とした。
「ぱ……ぱ……───。」
鎌が鉗音の体をすり抜けると、青白くぼんやり発光した魂が鎌の中に吸い取られた。
その直後、苦しみ悶えていた鉗音の体はぴたりと動かなくなり、辰弥の姿を二度と映すことのないその瞳は、薄っすら開いたまま辰弥の方向を向いていた。
「……鉗音っ?!」
辰弥は慌てて脈を確認するが、無論脈はなく、鉗音の手首も力なくだらりと垂れた。
「っ……そん…な…っ。…鉗音っ!!つぐねーーっ!!!」
辰弥は鉗音の体を強く抱きよせると、病室の外にも漏れるであろう声で泣き叫んだ。
否。思屍人の辰弥は涙を流すことができないので“泣き叫ぶ”という表現は正しくはないが、鉗音の名を呼ぶその声は泣いているように震えていた。
「……上総、鉗音の母親がこっちに向かっている。もうそろそろ来るぞ。」
「そう…。」
上総は屍神の鎌を出すと、一歩あゆみよる。
その時鍵のかかった病室のドアノブをガチャガチャまわす音が聞こえた。
「白波瀬先生っ、いるんですか!? 開けてくださいっ!」
異変に気付いた看護師の女性が駆け付けたのだ。
看護師はドアをノックしながら呼びかけるも、辰弥は反応せず、鉗音を抱いていた腕を離し床に力なく伏せていた。
病室の外では、中に開けるよう呼び掛ける看護師の姿を遠巻きに興味本位で見ている患者、見舞客がチラチラ集まってきていた。
「え、なに、どうしたの……?」
そこへ状況がいまいち飲み込めない朝子が立ちつくす患者たちの間をすり抜けて、看護師のもとへ駆け付けた。
「あのっ、どうしたんですか? 中でなにかあったんですか!?」
朝子は慌てた様子の看護師に問いかけた。
「それが…、白波瀬先生の叫ぶような声が聞こえたので慌てて駆け付けたんですけど、中から鍵がかかっていて開かないんですよ。返事もかえってこないし…。」
「えっ、辰弥の…?」
朝子は不安に襲われ一気に表情が曇った。
「私、鍵をとってきますね。ちょっと待っていてください。」
そう言うと看護師は足早に鍵を取りに一時その場から立ち去った。
「辰弥っ!中にいるの!? 鉗音が…鉗音がどうかしたの!?」
朝子はドアを何度も強くたたきながら、不安げに呼び掛ける。
「あさ…こ…?」
朝子の声に反応した辰弥は伏せていた顔を少し傾けた。
「外が騒がしくなってきたわね。」
そう言うと、上総は念力でドアノブの鍵を解除し、ドアを勢いよく開いた。
「えっ…?」
朝子は自動的に開いたドアに一瞬驚きつつも、薄暗い病室で床に伏せた辰弥を見て、顔を不安で滲ませ駆けよってきた。
「辰弥っ!?どうしたのっっ。」
朝子が病室に入ったのを見計らって上総は再び力を使ってドアを閉め鍵をかけた。
朝子は荷物の入った紙袋を床に放り出すと、辰弥の肩に手をかけ顔を覗き込んだ。
「辰弥なにがあったの?……それにこの娘(こ)だれ?なんなの…?」
朝子は訝しげに上総を見上げるが、上総は違う方向をむいていた。
すると、力ない声で辰弥が呟く。
「……朝子、…鉗音が………。」
「え、鉗音?…────。」
朝子は勢いよくベッドに横たわる鉗音に頭を振りむけると、ゆっくり立ち上がり鉗音の側に歩み寄る。
薄暗い中床に伏せた辰弥に気を取られていたこともあり、さっきまで鉗音は寝ているのだ、と思っていたが、いつもと様子が明らかに違っていた。
よく見ると、薄っすらと目を開いているがなんの反応もない。
「…つぐ……ね…。つぐね………?」
恐る恐る呼び掛けるも返事はかえってこず、鉗音の肩を揺らしさらに呼び掛けた。
だが当然のごとく、その口から「ママ」と呼ぶ鉗音の声は返ってこなかった。
「うっ、嘘よっ…そんなっ……っそんな──!!つぐねっっ…つぐねーーーっっっ!!!!!」
朝子は数歩後ずさって両手で顔を覆いながら、悲鳴にも似た声で鉗音の名を叫んだ。
それを聞き辰弥は唇を強く噛むと、床を拳で何度も叩きつけた。
朝子は嗚咽を漏らしながら辰弥同様床に伏せた。
「…辰弥さん、少し彼女には眠っていてもらうわね。」
そう言うと上総は左腕を真っすぐ伸ばし、人差し指を朝子に向けた。
そのまま横に切るように腕を振ると、朝子はすっとまぶたを閉じて、ゆっくり床に倒れた。
「朝子っ!?」
「大丈夫よ。1時間後くらいには目を覚ますわ。それよりあなたは自分の心配をしたらどう?」
「!!……っ。」
「私の出した条件を破ったのだから、あなたの心を冥界へ送らせてもらうわ。本当、残念ね…。」
上総は鎌を手に床に伏せた辰己の目前に立った。
すると辰弥は、絶望した瞳で上総を仰いだ。
「鉗音が死んでしまった今、僕の命なんてどうだっていい。……いや、君から鉗音の余命を聞かされた時からどうだってよかったのかもしれない。生きていく理由もなくなってしまったし……。」
そう言い再び視線を落とす辰弥を見て、上総は眉間にしわを寄せた。
「あなた……。」
上総は少し何かを考えると、辰弥に向けて口を開く。
「辰弥さん、顔をあげなさい。」
「………?」
上総の言葉に少し億劫そうに顔を上げた。
「辰弥さん、あなたにとって“命”は鉗音だけなの? 医者が聞いて呆れるわね。医者だってひとりの人間なのだからそう責めるつもりはないけれど。」
そして一呼吸おくと言葉を続ける。
「…気が変わったわ。あなたの魂を呼び戻してあげる。」
「え……?」
「上総?!」
黙ってその場を見守っていたクロガネも驚いた。
上総は鎌を両手で振り上げた。
「魂よ、華に揺れて舞い戻れ。」
その言葉と同時に鎌を辰弥めがけて振り落とした。
鎌の刃が辰弥の体を突き抜ける瞬間白く発光し、辰弥の体を完全に刃が突き抜けると、深紅の花弁が舞い落ち、雪のように溶けて消えていった。
「生き返った……のか……?」
生き返った、というのも妙な感じだが、この身体が何かで満ちたような気がした。しかし鉗音を失って空いた心の穴がふさがることはない。
この時はじめて、鉗音を失ったことに涙を流すことができた。
「私とかかわったことはあなたの記憶から消させてもらうけど、この言葉だけは残していくわ。──…辰弥さん、鉗音の分まで生きて、なんて誰かの命を押しつけるようなことは言わないけど、鉗音を思うのなら、しっかり地に足をつけて生きてみなさい。今が不幸だからといって未来を諦めてしまわないで。この先なにがあるかなんて誰にもわからないんだもの。誰にも、ね。」
そう辰弥に言い残し、辰弥も朝子同様眠りにつかせた。
「…上総、行こうか。」
「そうね…。」
上総とクロガネは病室の窓からふわりと宙に浮き外へ出た。
その時ドアの鍵を開け、看護師から事情を聞きつけた矢野が病室内へ入ってきた。
「こっ…これはいったいどうなってんだっ!? 辰弥っ? 鉗音ちゃんっ!?」
床に倒れている辰弥と朝子。命がついえた鉗音。
その状況に驚き狼狽していると、窓の外にも人影があるのに気付いた。
逆光ではっきりと見えにくかったが、午前中に会った印象深い少女の顔はしっかり覚えていた。
「キミはっ!?」
「こんにちは、矢野先生。もう“こんばんわ”かしら?」
「これはいったいどういうことなんだ!? それに君は──……。」
3階の病室の外にいる影に、彼女がただ者ではないであろうことは悟った。
「床の二人はしばらくしたら目覚めるわ。鉗音はもう寿命だったの…。それじゃあ矢野先生、さようなら。二度と会うことはないわ。あなたは思屍人にはならなさそうだし。──…なんとなく、ね。“長年の経験”ってやつかしら。」
上総は小さく笑うと、矢野が呼び止めるのも聞かず朱色に染まった空へと消え去った。
「にしても、まさかあそこで魂呼び戻すとは思わなかったな。」
両手を頭の後ろで組んでクロガネが言う。
「私もギリギリまでは心を狩るつもりでいたわよ。でも気が変わったんだからしかたないじゃない。」
「おまえの気が変わった要因って、あの思屍人の命を投げ捨てたようなセリフ?」
「そうよ。腹がったったわ。医者の分際で自分の命はどうだっていい、生きていく理由がないですって? 思屍人は残した思いに取りつかれて周りが見えなくなりやすいのは分っているけど、朝子さんはもちろん、助けを求めている患者だって山ほどいるのよ。せいぜい鉗音を失った傷を背負って生きていくがいいわ。」
「おまえ……最後のセリフはちょっとヒドくないか。」
クロガネは呆れ顔を上総に向けた。
「なに、その顔。」
「…ま、おまえのそういう素直じゃないところがあるのも分かっているけど。」
そう言いクロガネはニッと笑う。
「……気持ち悪いわね。」
「ほんとヒドイな。」
「まあ、思屍人のことは閻魔様に全部私の判断に任せるって言われてるし、私のやりたいようにさせてもらうわ。」
「あの男が生き返って嫁さんもこの世に一人残されないですんだし、鉗音もそれを望むだろう。」
「この先、あの人は生き続けて何を得て、何をさらに失うのかしら。先のことなんて本当、誰にもわからないもの。───…私自身のこともね。」
第二幕/完
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